◆返還から現在まで

米軍の飛行活動停止後も立川はその後方支援施設として使用されていたが、1973年(昭48)1月に全面返還が発表され、77年11月末日をもって返還に至った。

返還後の立川飛行場は、残っていた旧軍施設を陸上自衛隊が使って駐屯を開始、旧西地区の米軍施設や残っていた陸軍航空技術研究所・支廠(ししょう)などの施設を取り壊して、82年の秋に現在地に移転した。その後旧東地区も再開発が始まり、旧軍格納庫のすぐ裏(東側)を多摩モノレール(98年営業開始)が通った。消防庁や警視庁などが航空基地を置き、内閣府からは大規模災害発生時の緊急拠点「立川広域防災基地」に位置付けられた。映画「シン・ゴジラ」では、その役割で立川が登場している。

一方、旧西地区の多くは「国営昭和記念公園」となって、83年10月の開園以来35年以上を経た。その西、返還から手付かずで近年まで、うっそうとした森だった航空工廠跡地も、2013年秋に開発が着工され、東日本成人矯正医療センターなどが17年以降に順次竣工(しゅんこう)した。

以上、立川飛行場の100年を振り返ってきた。その多様な歴史の一端でも伝われば、幸いである。(おわり)