安全輸送と時間短縮は鉄道技術者たちのロマンへの挑戦でした。戦前の最速特急「富士」は、東京~大阪間を10時間52分で走りました。1930年(昭5)10月のダイヤ改正で、それを2時間32分も上回る8時間20分で駆け抜けたのが特急「燕」。表定速度(停車時間を含む平均速度)は68・2キロという驚異的な速度で超特急と言われました。

その後も鉄道省は重い軌条への交換、信号機の改良、機関車はC51形でけん引し、速度アップに挑戦。難所の箱根越えでは補機を、下りは国府津駅、上りは沼津駅で補機のC53形を連結し、御殿場駅で走行中に解放しました。停車駅もわずか5駅、車両も7編成と短く、時間短縮の極限を求め駆け抜けたのです。最後尾には展望車と、つばめのテールマークを備え、食堂車も連結しました。まさに戦前の花形列車でした。

[PR]