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紙面企画

事件記者清水優 ブラジル体当たり

事件記者清水優 ブラジル体当たり

◆清水優(しみず・ゆたか)1975年(昭50)生まれ。38歳。東京外大ポルトガル語学科卒。98年入社。静岡支局、文化社会部、朝日新 聞社会部警視庁担当を経て、文化社会部に帰任。事件、事故など中心に行き当たりばったりながら体当たりで取材。体重95キロ。

日系人が日の丸手袋で日本応援


 【レシフェ13日(日本時間14日)】さあ日本代表の初戦だ。試合が行われるブラジル北東部の現地では、レシフェ日本文化協会(伊与田明会長=66)などが日の丸グッズでスタジアムを日本のホームに塗り替える。伊与田さんが考案した白い紙袋に赤い丸をプリントした応援手袋3万枚を準備。日系人、日本人だけでなくブラジル人にも配布し、応援態勢の強化に余念がない。

 伊与田会長らは試合当日の14日、シャトルバスの発着場となるショッピングセンターなどで応援グッズを配布する。協会の中で1月に立ち上げた日本代表応援委員会の桑江・バウテルさんは「レシフェでは、昨年コンフェデ杯の時も、ブラジル人のほとんどが日本代表を応援した。今回も日本人、日系人はもちろん、地元のブラジル人にも手伝ってもらい、できるだけホームのような雰囲気の中で戦って勝ってもらいたい」と期待する。

 白い手袋大の紙袋に赤い丸を染めた日の丸手袋は伊与田会長が考案した。「ブラジルでW杯が行われ、日本代表が来る。こんな機会は一生に1回だろう。もう待ちくたびれて苦しくなってきたが、いよいよ本番だ。誰でもいいからゴールして勝ってほしい」と期待する。

 レシフェに日本人移民が入ったのは1930年代。仕事は野菜農場の小作農や自営農が中心だった。現在、レシフェの日本文化協会に所属する日系人は150世帯、周辺の町も含めると300世帯、1000人ほどが暮らす。今では医師、弁護士などさまざまな職種でブラジル社会にとけ込んでおり、ブラジル人の友人たちにも呼び掛けて日本を応援する。

リオデジャネイロでの日系団体のパーティー(撮影・清水優)

 日本代表の初戦を応援する町はレシフェだけではない。リオデジャネイロ州日伯文化体育連盟(鹿田明義理事長)や日系協会(松浦実会長)などの団体が、200人規模の応援会を実施する。1955年に東京から移民し、今年77歳の鹿田理事長は「予選リーグを1位突破すれば、決勝トーナメント1回戦(28日)の会場はリオ。州内には1世から4世まで3600世帯1万5000人の日系人がいる。みんなで日本代表を待っています」と話した。2戦目の会場となるナタル(日本時間20日ギリシャ戦)でも日系団体が応援会を実施する予定。日本から見れば地球上でもっとも遠い国だが、ここは1908年の笠戸(かさと)丸以来、多くの日本人が移民したブラジル。応援態勢は万全だ。

 ◆ブラジルの日系人 外務省のデータによると、日本からの移住者やその子孫など、現在の総数は推定約160万人。世界で最も日系人が多い。移住の歴史は106年前にさかのぼる。コーヒー農園などでの労働力不足から、ブラジル政府が日本人の受け入れを表明。1908年(明41)4月28日、781人が笠戸丸に乗り神戸を出発、サンパウロ州のサントス港に渡った。その後も集団移住が続いたが、居住、労働環境は過酷だった。第2次大戦で中断されたが、70年代まで行われた。日系人の約7割が住むサンパウロ州には、47都道府県の県人会もある。在留邦人も、5万6767人(11年10月)いる。

















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