ドラマ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰(くらもと・そう、本名山谷馨=やまや・かおる)さんが18日、多臓器不全のため死去した。91歳。倉本財団が28日、公式サイトで発表した。
葬儀は近親者で執り行われた。故人の遺志により「お別れの会」を、11月3日に富良野演劇工場にて予定している。
60年に及ぶ脚本家人生に幕を下ろした。北海道・富良野を拠点に、晩年まで現役として執筆活動を続けた。17年から俳優や作家などが入居する老人ホームを舞台にしたテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」「やすらぎの刻」の脚本を書き、話題を呼んだ。健康という言葉を嫌い、晩年もタバコを愛し、日に60本以上も吸っていた。ライフワークとして森の樹林をテーマにした点描画も描き続け、19年にも各地で展覧会を行っていた。終活を実践し、遺言書を書き、墓も購入していた。
倉本さんは東大卒業後に入社したニッポン放送時代から「倉本總」のペンネームで脚本を書き始め、「青春とはなんだ」「赤ひげ」などを担当した。74年には大河ドラマ「勝海舟」の脚本に起用されたが、演出をめぐる対立から途中で降板。直後に北海道に逃げ出し、3年後の77年には生活拠点を富良野に移した。富良野を舞台に81年から始まった田中邦衛主演「北の国から」は家族の物語として大きな反響を呼び、ドラマスペシャルとして02年まで放送された。
俳優とも深い関係を築き、映画「駅STATION」「海へ」などで高倉健さんとタッグを組んだほか、「前略おふくろ様」では萩原健一さんの俳優としての資質にほれ込み、親交を深めた。また、、95年ごろ、長渕剛がマスコミに追い回された時、家族ごと匿ったこともあった。
84年には私財を投じて、脚本家や俳優を養成する「富良野塾」の開塾した。受講料無料の同塾の倍率は最高40倍で、選ばれた40人は富良野で農作業しながら共同生活を送った、10年に閉塾するまでに計375人の若者を送り出した。同塾では倉本さん作・演出「屋根」「走る」などを上演し、20年春にも、都内で倉本さんの作・演出で卒塾生による「富良野GROUP」公演を予定したが、コロナ禍のため中止となっていた。
◆倉本聰(くらもと・そう)1934年(昭9)12月31日、東京生まれ。東大文学部卒業後、59年にニッポン放送に入社。63年に退社後は脚本家として活動。主な作品はドラマ「北の国から」「前略おふくろ様」「優しい時間」「風のガーデン」、映画「冬の華」「時計」など、妻は演劇集団円に所属した女優の平木久子さん。00年に紫綬褒章、10年旭日章小綬章を受章した。
▼発表全文
当財団理事長であり、脚本家として長年にわたり創作活動を続けてまいりました倉本聰は、令和8年9月18日(金)夕刻、多臓器不全のため自宅にて永眠いたしました。享年91でございました。
突然のお知らせとなりますことを、謹んでお詫び申し上げます。これまで倉本の作品を心に留め、その活動を見守り支えてくださいました皆様に、心より厚く御礼申し上げます。
倉本は、人と自然、家族、地域社会のあり方を見つめ、言葉と物語を通して多くの皆様に思いを届けてまいりました。その歩みの傍らには、常に作品を受け取ってくださった皆様の存在がございました。
関係者一同、深い悲しみの中におりますが、倉本が遺した言葉、作品、そして大切にしてまいりました思いを、今後も受け継いでまいる所存でございます
なお、葬儀等につきましては、ご家族のご意向により、近親者にて執り行われました。ご遺族ならびに関係者の心情にご配慮賜り、何卒静かに見守っていただけますようお願い申し上げます。
今後、ご縁のございました皆様にお別れをしていただく場として、故人の遺志により「お別れの会」を、11月3日(火)に富良野演劇工場にて予定しております
詳細につきましては、決定次第、当財団公式サイト「倉本聰界隈」にてお知らせいたします。
長年にわたり倉本聰を支えてくださいましたすべての皆様に、あらためて心より厚く御礼申し上げます。
本発表をもちまして、公式なご報告とさせていただきます。なお、個別のお問い合わせにつきましては、何卒ご遠慮賜りますようお願い申し上げます。



