今となっては、ある意味で「劇場型政治」だったといえるのかもしれない岸田文雄首相(67)の早すぎる電撃不出馬表明を受け、自民党総裁選の幕が事実上切って落とされた。派閥裏金事件で信頼が失墜した自民党の新しい「顔」を選ぶ戦いだが、これまでの総裁選の様相とはかなり違う。

従来は派閥ごとに候補を支援し、そうした大きな力を得た候補が総裁選を勝ち抜くのが大半だった。岸田首相も前回は安倍、麻生、茂木各派の支援を受けた。今回、派閥は解消(麻生派を除く)されたのだから、ボスの顔色をうかがうことなく、表向きは自分が期待する候補に投票できる。一方で、本当に派閥の重しがきかなければ結果がなかなか見通せず、自民党関係者を「票読みが難しすぎ」「未知との遭遇」などとうならせる戦いが待ち受ける。

岸田文雄首相(2023年8月撮影)
岸田文雄首相(2023年8月撮影)

岸田首相が踏み切った「派閥解消」で派閥の論理に縛られない投票行動が可能になったが、出馬には20人の推薦人が必要。これまでは大きな派閥に属していたら20人は余裕をもって集められるし、派閥の支援がない場合、集める先からほかの陣営に引きはがされていくという現実もあった。

20人の推薦人を確保するというのは、簡単なようにみえて難しい。「その候補者のために、署名となつ印を求められることになる。いわば『血判状』。その政治家を評価した自身の判断も、後々まで残る。政治家としての評価にかかわる」(政界関係者)重いもの。顔ぶれも「幅広さ」とか「若手の支援」とか、意味を持つものにした方がいいそうだ。推薦人の「質」にこだわる候補者にとっては「ただ人が集まればいい」というものでもないという。推薦人20人は公に名前が出るため、求める側も求められる側も緊張感が漂う。

推薦人集めをめぐる激動は、何度か目の当たりにしてきた。2015年総裁選では、「安倍1強」の無投票再選を防ごうと、野田聖子氏(63)が出馬を目指して推薦人を集め続けたが、出馬の受付時間と同じ時間から「断念会見」を開いた。その時、野田氏は「だんだん、電話を取ってくれる議員が減った。ここまでだと思った」と述べた。当初、野田氏周辺への取材では、支持に動く可能性がある議員は20人超いたが、あっという間に安倍首相陣営に切り崩された。その総裁選は結局、安倍氏が無投票再選に。野田氏は次の2018年総裁選でも推薦人集めに苦慮し出馬を断念。前回2021年で初めて出馬を果たすことになる。

20人の推薦人が集まらず、自民党総裁選の出馬断念を会見で表明する野田聖子氏(右)(2015年9月撮影)
20人の推薦人が集まらず、自民党総裁選の出馬断念を会見で表明する野田聖子氏(右)(2015年9月撮影)

一方、1995年総裁選では、当時の自民党で最大勢力だった平成研(小渕派)がバックにいる橋本龍太郎氏の一本化無投票当選を防ごうと、首相就任前の小泉純一郎氏が出馬した。当時は今より10人多い30人の推薦人を集めなくてはならなかったが、この時、小泉氏は出馬締め切り日の未明に30人を確保。朝の7時半から開いた出馬会見で「『小泉つぶし』の圧力が強まるほど、出なければという思いが強まった」と、ほえた。

小泉氏はこの総裁選では橋本氏に惨敗したが、三度目の正直で臨んだ2001年総裁選で総裁の座に登りつめた。この時は、まさに「大どんでん返し」で、地方票の圧倒的支持を受けた小泉氏が、当初の予想を覆して橋本氏を破った。当時も、今回の岸田首相と同じように不人気だった森喜朗氏の後任を選ぶ総裁選。小泉氏も森派だったが、地方票の配分が従来より重くなる変化や、何より「自民党をぶっ壊す!」と全国で訴えて回った小泉氏のキャラが、国民に受け入れられたことが大きかった。

選ぶのは自民党員だが、自民党員も国民。国民が政治に求めた「変化」と、小泉氏の訴えやイメージが重なり、政治と国民が同じ方向を向けたことが自民党の「派閥の論理」を覆した。何が起きるか分からないという観点から、今回の総裁選をこの時の総裁選に重ねる人は少なくないが、国民の自民党に対する不信感は、当時より今のほうがかなりキツいと感じる。

自民党内と、国民が求める「変化(刷新)」の中身は、今回も重なり合うのか。不信感が強いからこそ、その難しさも感じる。そして、そのスタートラインに立つため、推薦人集めに奔走中の「候補者候補」たちは、どこまで絞られるのだろう。固まるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。

「未知との遭遇総裁選」。告示を待たず、1カ月あまりの厳しい戦いが始まっている。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)