「太陽の常呂っ子」(ロコ・ソラーレ)は7人で戦った。平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)カーリング女子日本代表「LS北見」の練習拠点アドヴィックス常呂カーリングホール(北海道北見市)では24日、かつてのチームメートがメダルをかけた戦いに一喜一憂した。テレビ応援観戦会に創設メンバーの江田茜さん(29)馬渕恵さん(33)が駆けつけ、苦楽をともにした仲間の銅メダル獲得を目に焼き付けた。
2人にとって、忘れられない一夜になった。LS北見の創設時にリードだった江田さんとセカンドの馬渕さんは24日、かつて通い詰めた練習拠点で歓喜の瞬間に立ち会った。銅メダルが決まると、寄り添い、抱き合う。江田さんは「うれしい、誇らしい、よくやった。早くメダルを見たい」、馬渕さんは「つらいことを乗り越えてきた。本当にみんなの頑張りが報われた」。涙を浮かべ、苦楽をともにした仲間の姿を見つめた。
「ロコ・ソラーレは7人のチーム」。本橋麻里(31)が常々そう口にするのは、苦しかったチーム草創期を支えた仲間を忘れていないからだ。「常呂町(現北見市)のメンバーでチームを作りたい、五輪を目指したい」。本橋の思いを知り、パティシエとして新たな生活を始めていた江田さんの心は揺れた。だが「5人目でもいい、仕事優先でもいいと(本橋)麻里ちゃんがいってくれた。小さいころから五輪は夢。やろうと決めた」。2つの夢を追う日々が始まった。
勤務先は1917年(大6)創業の老舗菓子店「志賀甘栄堂(現・菓子工房Shiga)」。勤務先もサポートしてくれたが、両立は過酷だった。菓子店はクリスマスなど冬場が繁忙期。睡眠時間を削り、水仕事であかぎれになった手で3シーズン戦ったが、13年9月にチームを離れた。本橋からは慰留されたが、支える側に回った。練習や大会ごとに差し入れし、06年に常呂町が北見市と合併後は、競技普及のためにカーリングにちなんだお菓子を作り、盛り上げた。
馬渕さんは自身の所属チームが解散した時期に、3歳下の本橋から「力を貸してほしい」と懇願された。チーム最年長。運営、強化に走り回る本橋の良き理解者であり、チームの精神的支柱だった。吉田知那美(26)が加入後の15年3月、後輩に夢を託せると判断、引退した。
平昌五輪出場が決まった時は「自分の夢がかなったような気持ちでした」と振り返る。1次リーグは江田さんと韓国に出向いたが、現メンバーと特別な言葉は交わしていない。「考えていることはお互い分かってる。みんなを信じていたから」。この日も同じ。五輪カーリング会場がある江陵から1440キロ。チームの「始まりの地」で、ともに戦った。【浅水友輝】
◆ロコ・ソラーレ(LS)北見 チーム青森で06年トリノ五輪で7位、10年バンクーバー五輪も8位入賞の本橋麻里が10年8月、出身地で競技が盛んな北海道北見市(旧常呂町)に創設した。ロコ・ソラーレは「太陽の常呂っ子」を意味する造語。練習拠点はアドヴィックス常呂カーリングホール(北見市常呂町字土佐2の2)。現メンバーは平昌五輪代表の5人。