東日本大震災で津波の被害を受けた貴重な樹木の苗木を残し、育てて被災地に帰郷させる復興支援に心血を注ぐ研究者がいる。住友林業森林・緑化センター長の中村健太郎さん(52)は、津波に耐えたが枯死しモニュメントとなった、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の後継樹の育成に成功。成長する苗木の帰郷の目標を20年に定めた。

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中村さんは「奇跡の一本松の後継樹を、10年目に入る一区切り…来年には古里に帰らせられる」と、かみしめるように言った。東日本大震災で発生した大津波で、350年にわたって植林した約7万本あるといわれた名勝“高田松原”の松は、1本を残して全て姿を消した。唯一、残った奇跡の一本松も、海水に10時間以上漬かったため根腐れを起こし、枯死した。その遺伝子を未来につなぐ日々は、困難の連続だった。

名木の保存、育成に取り組む住友林業に陸前高田市から要請があり、中村さんは震災直後の11年4月22日に現地に入った。奇跡の一本松から枝を採取し、ホテルの風呂に水を張って一晩、水を吸わせて茨城県つくば市の研究所に輸送。別の松の幹に接ぎ木してクローン苗を3本育成した。

種からの育成にも挑戦しようと、樹上に辛うじて残った1000個の松ぼっくりを採取した。研究員たちと1つ、1つペンチで割ったところ、大半の種がすでに飛散していたが、飛散できず根元に残った75粒を回収できた。75粒は自然界では本来、生き残れない未成熟の種。通常より一回り小さく、表面も乾き、状態は悪かった。

中村さんは11年の秋、研究所内で一部の種をまいた。18個の種が発芽し、苗を外の畑に出したが、13年までに全て枯れた。再度、13年春に種をまいたところ9個発芽した。温室の中で30センチくらいまで育った段階で畑に出すと、7本が順調に育ち、1メートル50センチ程度まで伸びた。クローン苗も3メートル程度まで伸びた。

東日本大震災から8年が経過した今、奇跡の一本松の“子ども”は10本しかない。中村さんは「本体が枯れて、接ぎ木も種も、もう何も取れない。慎重に育てた。盆も正月もなく水をやりに来ました」と振り返る。

その裏には復興への思いがあった。「うちは木でしか、お役に立てない会社。仮設住宅を木造で建てる中、生きた木を通じてお役に立てないかと思った。復興のシンボルとして被災地の人に喜んでほしい」。中村さんは切に願った。【村上幸将】