多くの人の思い出を演出してきた遊園地「としまえん」(東京都練馬区)が今日31日、94年の歴史に幕を閉じる。30日、コロナ禍で入場制限がかかる中でもたくさんの人が詰めかけ、アトラクションやプールで、それぞれの夏を楽しんだ。中でも、園のシンボルともいうべき回転木馬「カルーセルエルドラド」には、閉園を惜しむように長い行列ができた。園内の乗り物に携わって40年、事業運営部長の内田弘さん(65)に思い出を語ってもらった。【赤塚辰浩】

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「としまえんのシンボル。永遠に回り続けてほしかった」。閉園を控えた園内では、多くの来場者が「カルーセルエルドラド」の周りを囲んでいた。「妻と結婚前にここでよくデートしました」と照れる40代の男性に、「最後だから孫と乗りたくて」と、訪れたという70代の女性。としまえんの思い出はいろいろだ。

この回転木馬は1907年(明40)、ドイツの機械技師、ヒューゴー・ハッセが製作。アールヌーボー様式で、豪華な手彫りの装飾が特徴だ。4年後、社会情勢の悪化で米国へ譲渡。内田さんによると「ニューヨークの遊園地では、セオドア・ルーズベルト元大統領や世界的ギャングのアル・カポネ、女優マリリン・モンローも乗ったと言われています」。64年、ニューヨークの遊園地が閉園。その後、解体された。

日本に来たのは69年。売りに出ているのを知った「としまえん」が、1億円で購入した。同年4月、横浜港に到着後に組み立てて稼働する予定が、パーツはバラバラ。塗装もはげ落ちていた。詳細な図面など、ない。「宮大工、美術の先生、電気の技術者など、ありとあらゆる人を頼りに復元した」という。改修費用で、さらに2億円かかった。

2年後の71年4月、ようやく稼働した。83年には、ニューヨークから「買い戻したい」との依頼が来たが、内田さんは「今は日本の子どもたちに楽しんでもらっているからと、丁重にお断りしました」と話す。

86年に社内結婚した内田さん。記念撮影のバックはもちろん「カルーセルエルドラド」。これまで3組いるが、第1号だ。2010年8月には日本機械学会が「機械遺産」に認定した。園によると、のべ2630万人が乗ったという。

都心の遊園地として、「後楽園ゆうえんち」(現「東京ドームシティアトラクションズ」)と双璧だった「としまえん」は92年、約400万人と最高の入場者数を記録。世界初「流れるプール」、日本初の曲線型ウオータースライダー「ハイドロポリス」、ツイン型フライングパイレーツなど、若年層対象のアトラクションなどが人気で、独特なポスターも目を引いた。

ここ数年の入場者は年間100万人前後。内田さんは「身近な庭のように遊んでほしいと、ファミリー層をターゲットにして入場者は下げ止まった。カルーセルエルドラドは、年代を問わず楽しめる代表的な乗り物だった」と強調する。

閉園後、園内の乗り物の約3分の2は、国内外の遊園地などに譲渡予定。取り壊されるものもある。「カルーセルエルドラド」の今後は未定だ。「お金で価値が付けられない、いちばん大切な乗り物。日本の、いや、世界の宝です。じっくり修理して、どこかで稼働してほしい」。内田さんだけでなく、「としまえん」を愛した、誰もの願いだ。

◆としまえん 1926年(大15)開業。カルーセルエルドラドなど30近い乗り物、「流れるプール」ほか7つのプールなどが約22ヘクタールの敷地内にある。77年、年間フリーパス「木馬の会」を発足。78年から練馬区の成人式会場にもなった。今年6月、温泉施設「豊島園庭の湯」を除き、8月31日に閉園すると発表。今月18日、遊園地内の一部敷地が、映画「ハリー・ポッター」シリーズをテーマにした体験型エンターテインメント施設になると、発表された。2023年前半の開業を目指す。