36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件が18日で発生から2年を迎えた。

絵を仕上げる「着色」のプロとして約20年勤めた津田幸恵さん(当時41)を亡くした父伸一さん(71)の心に刻まれた深い悲しみは、2年前のまま。現場となった京都市伏見区の「京都アニメーション」第1スタジオ跡地では、追悼式が開かれた。

兵庫県加古川市の自宅で取材に応じた伸一さんは「2年だからといって、何かをすることもないし、何かを区切ることもない」とつぶやいた。あの夏から急須でいれた熱い日本茶を飲むことはなくなった。「日本茶は落ち着いた気持ちで飲んでこそだからね」と伸一さん。

京都で1人暮らしだった幸恵さんは、毎年、夏と冬には仕事の合間をぬって、帰省した。お土産は伸一さんの大好きなおかきとお茶だった。京都の代表的な「宇治茶」は毎回、種類が違った。2年前の夏も娘は父が切らしていたお茶を持ってきてくれるはずだった。

この2年で、幸恵さんが小さい頃から描きためた大量のアニメのイラスト、焼け跡で見つかった愛用のかばんも処分した。思い出は頭の中にしまった。18年に妻を亡くした伸一さんは「家内と使っていたものをゆっくりと捨てていくはずが、順番が逆になってしまった。幸恵のほうが先になってしまった」。そう話す伸一さんの目に涙がにじんだ。昨春、仕事を辞め、運転免許の更新もしなかった。「これから人生の片付けを考えなあかんのに、ガタガタやな…」。最愛の娘を失った悲しみは癒えることはない。【松浦隆司】