安倍晋三元首相が参院選の街頭演説中に銃撃され、命を落とした。演説時は聴衆との間に柵が設けられるなど厳重警備が敷かれるが、最近は演説する側が終了後、ハイタッチなどで聴衆とふれあうなど、有権者との距離を近めるのが定番。第2次政権で国政選挙を連勝し「安倍1強」を築いた安倍氏にとっては、得意とした遊説スタイルだった。

ただ、それは目の前にいる有権者との暗黙の信頼関係が前提。安倍氏の遊説では厳しいやじも飛ぶが、熱烈なファンも多い。聴衆に銃撃されるなど、考えもしなかったのではないか。

安倍氏は20年8月の退陣後も、永田町に影響力を保ってきた。昨年12月、自身の名を冠した安倍派の会長に就任。94人を擁する党最大派閥で、最終決定権は岸田文雄首相でも、首相が安倍氏に説明に向かうこともあった。首相経験者には退陣後発言を控える人もいるが、安倍氏は持論を世に発することをやめなかった。

「1議員として仕事をしていきたい」。第2次政権退陣会見でにじませた意思は、言葉通りだった。最近では日本の防衛費をGDPの2%に増額する必要性を訴え、波紋を広げた。アベノミクスの成果にも、胸を張った。5月の安倍派パーティーでは「絶対勝ち抜かないと」と、支援候補への支援を訴えた。2度の首相退陣は、持病が一因。健康が戻った最近の安倍氏を取材する機会には、首相時代とは異なる執念も感じた。

1強の半面、森友学園や「桜を見る会」など負の問題を抱え、コロナ対策ではアベノマスク配布で失笑を買った。それでも憲政史上最長の首相在職期間となった安倍氏を中心に、最近の日本政治は回り続けた。祖父岸信介氏から引き継いだ悲願の憲法改正、日本人拉致問題。ライフワーク実現への芽は、つみ取られた。

会長不在となった安倍派は混乱しそうだ。自民党内の人間関係やパワーバランスも大きく変わる。それくらい、安倍氏の存在感は大きかった。【中山知子】

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