アイドルグループ「おニャン子クラブ」の元メンバーで自民党公認で東京選挙区(改選数6)に出馬したタレントの新人生稲晃子氏が、初当選を果たした。“最後の安倍チルドレン”として国政の場に進出する。

当選確実となった生稲氏は、白のポロシャツ姿で支援者の待つ陣営に現れた。関係者に拍手で迎えられると、涙ぐんで感極まった表情。繰り返し頭を下げ、関係者らとグータッチを繰り返した。

一礼した生稲氏は、5秒ほど言葉に詰まると「今、夢を見ているようで…。頭の中がからっぽになってます。ここまで私を連れてきてくださりまして、ありがとうございました。今、夢を見ているようだと言いましたけど、夢の中にいるのかもしれません」。続けて「まだ実感として沸いてこないのですが、待っている時間が長くて、つらくてつらくてしょうがなくて、ここまで支えてもらったのに申し訳ないと待っていました」と述べた。

当選確実となったことには「ただただうれしくて、ホッとしている自分がいました。(東京選挙区での自民党の)2議席守らなければならない。その1議席が、政治の経験がない自分と…。かなりプレッシャーでした。その1議席を守れて、本当にうれしく思いました」と喜びを語った。

安倍晋三元首相の銃撃事件についても触れ「安倍元総理がいらっしゃらないことがまだ信じられません。悲しくて悲しくてしょうがないのですが、当選することが恩返しだと思っていたので、本当によかったと思っています。安倍先生がどこかで自分を見てくれていると信じています。6年間、必死に国民のみなさんのために頑張ります」と語った。

今回の参院選でのタレント候補の代表格といわれ、公示前から知名度は抜群とされていたが、街頭活動では苦戦する面もあった。おニャン子クラブの会員番号40番として活躍したのは80年代。アイドル時代は30年あまりも前で、50代以下の世代への認知度は決して高くなかった。「いくいな、って読むんですね」(20代男性)と街頭演説で初めて元アイドルと知った若い世代も少なくなく、他党幹部で40代の衆院議員ですら「おニャン子は聞いたことがあるような。実は生稲さん知りませんでした」と苦笑した。

その中で生稲氏の後ろ盾となったのが、選挙戦の最終盤で凶弾に倒れた故安倍晋三元首相だった。先月23日の公示日の街頭演説第一声に安倍氏が駆けつけるなど全面支援を受け、亡くなる前日の7日の選対会議にも出席して激励していた。

生稲氏は今回、引退する中川雅治元環境相(安倍派)の後釜として安倍氏が抜てき。2度の乳がん再発と5度の手術を体験した生稲氏を16年、当時の安倍首相が「働き方改革実現会議」の民間議員に選出したのが、きっかけとなった。

最大派閥である安倍派の勢力拡大と、安倍氏の影響力を誇示し、岸田政権への影響力を高めるために生稲氏の当選は安倍派にとって絶対条件だった。安倍氏と距離のある菅義偉前首相が、同じ無派閥の現職朝日健太郎氏の再選をフル回転で支援したことで組織票の分配を含めて両陣営のつばぜり合いが激化した。

凶弾に倒れた安倍氏への祈りも通じ「こうして当選させていただけて、少し安倍先生もホッとしてくださっていると思います」と胸をなでおろした。がん闘病と子育てを両立させ、経営する鉄板焼き店がコロナ禍の直撃を受けるという実体験を国政の場で生かす。

 

◆生稲晃子(いくいな・あきこ)1968年(昭43)4月28日、東京都生まれ。恵泉女学園短大英文科卒。86年におニャン子クラブのオーディションに合格し、会員番号40でデビュー。87年に同グループの工藤静香、斎藤満喜子と「うしろ髪ひかれ隊」を結成。88年にシングル「麦わらでダンス」でソロデビュー。90年から女優活動を本格化させ、ドラマはTBS系「キッズ・ウォー」シリーズなど。03年にCMプロデューサーと結婚し、06年3月に長女を出産。11年に乳がんを発症し、その後2度の再発など15年10月までに5度の手術による全摘出と再建を行った経験をまとめた著書「右胸にありがとう そしてさようなら」を16年5月に出版。158センチ。血液型B。

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