前宮崎県知事でタレントの東国原英夫氏(64)が今年12月に予定されている宮崎県知事選への出馬を検討していることが24日、分かった。東国原氏は取材に、立候補を「熟慮している」と明かした。東国原氏は2007年(平19)1月、「どげんかせんといかん」のスローガンで宮崎県知事選に初当選し、1期で退任して都知事選に挑戦も落選。12年衆院選で日本維新の会から比例近畿ブロックで初当選も13年12月に辞職していた。東国原氏は「地元からの熱を強く感じる」と、9年ぶりの政界復帰に前向きな姿勢を見せている。

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東国原氏は今年12月投開票の見通しの宮崎県知事選について「外側から俯瞰(ふかん)している状態」としながら「毎回(宮崎県)知事選については地元からさまざまなオファーをいただく。でも、今回はちょっとその熱量が強い。熟慮しています」と否定はしなかった。

11年1月の県知事退任後、14年12月と18年12月の知事選では「不出馬です」と明言してきた。宮崎県知事を1期で退任して、その3カ月後の11年4月の東京都知事選に出馬する前には「熟慮中」と返答し、最終的には現職都知事だった石原慎太郎氏に挑戦していた。

東国原氏が知事時代に全幅の信頼を置いてきた当時の副知事が、現在の宮崎県知事で4選出馬を表明している河野俊嗣氏だ。10年12月の県知事選で初当選し、事実上の東国原氏の後継とみられてきたが、東国原氏は河野氏に「後継指名したことは1度もない」として「選挙戦を戦えないので助けてほしいと言われてウチのスタッフ3人を貸した。河野さんの1期目の選挙戦で1度だけマイクを握ったのが後継指名と勘違いされた。反省している」と話した。

河野氏は前回の18年12月の知事選では自民、公明、立民、国民、社民、希望各党から推薦されて無所属で出馬し、共産の新人候補を抑えて3選。昨年12月の議会で告示1年前という早期に4選出馬を表明した。東国原氏は、河野氏について「多選を避けて新しい風を地方自治に入れていくのが世の流れ。早い時期に出馬表明して他候補の動きをけん制して1強の状態を作ろうとしているのか」と批判した。

東国原氏は、安倍晋三元首相が参院選中に凶弾に倒れたことについて、「原因はどうあれ命懸けで政治に取り組んだことに心は動かされた」と語る。参院選では、水道橋博士氏がれいわ新選組から比例代表で初当選し、東国原氏に次ぐたけし軍団2人目の政治家が誕生。政治への思いを改めて強くしたものとみられる。

今年9月16日に65歳になる東国原氏は「政治の現場でバリバリ働けるのは今の状態ならば70歳がピークかもしれない。(次期宮崎県知事選は)最後のチャンスであると認識している」とも語った。

<東国原英夫氏の政界への挑戦>

▼2006年12月 東国原氏を代表とする政治団体「そのまんま会」を設立し宮崎県選挙管理委員会に届け出。官製談合事件で当時の知事が辞職(その後逮捕される)。東国原氏は知事選出馬を表明。「そのまんま東」のタレント名のまま立候補

▼07年1月 宮崎県知事選で初当選。「そのまんま東」で知事職に就くことに師匠ビートたけしから許可が下りず、本名の「東国原英夫」で登録。副知事に総務省出身で宮崎県に出向中の河野俊嗣氏を起用した

▼同12月 「新語・流行語大賞」を「ハニカミ王子」のプロゴルファーの石川遼とともに受賞

▼11年1月 1期で宮崎県知事を退任

▼同4月 東京都知事選に立候補も現職石原慎太郎氏に約90万票差で次点

▼12年12月 衆院選に日本維新の会から比例近畿ブロックで出馬し当選

▼13年12月 「理念が合わない」として日本維新の会を離党し、議員辞職

▼21年3月 福岡県知事選の出馬要請あり、出馬の方向だったが東国原氏は「準備が間にあわず断念」