連載「福永時代 前人未到ダービー3連覇へ」の最終第5回は、無敗3冠馬コントレイルを管理した矢作芳人調教師(61)が、主戦の福永祐一騎手(45)について語った。積極的に進言してきた姿にダービージョッキーとしての自信を実感、議論を重ねて突き進んだ栄光のクラシックロードを振り返った。

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福永騎手が18年のダービーで初制覇を果たした後、引退を勧めた人物がいた。「真っ先にやめろっていったのは俺だけどね」。矢作師はそう振り返ると、真意を説明した。

「福永家の悲願だったからね。(父の)洋一さんのことがあるから。これでやめられるなって。俺の世代は洋一さんのこと知ってるから。大けがする前にやめろって言いましたよ」

天才と呼ばれながら7度挑戦したダービーで勝てず、30歳だった79年に落馬負傷して、そのまま引退…。そんな父の無念を晴らし、一族の夢をつかんだ福永騎手へ、さまざまな思いが詰まった師の“引退勧告”だった。

受け入れられることはなかったが、その後、2人の絆は強固になった。結びつけたのは、もちろんコントレイル。無敗でクラシックを歩む道中で、師はダービージョッキーになった福永騎手の内面の変化を感じた。折り合いの改善策や、距離克服への考え、ゲート問題解決法など、以前よりも積極的に進言してくるようになっていたのだ。

乗り役には乗り役の考えがある。互いに意見を出し合うことで、気付かされることもあった。不思議なことにぶつかりあいはなかったという。同行した育成牧場でも、福永騎手の姿勢は同じだった。牧場には牧場、厩舎には厩舎の仕事がある。あえてそこに足を踏み入れる。ダービージョッキーとしての矜持(きょうじ)もあったはず。すべては馬のため-思いは一致していた。皐月賞を制し、迎えたダービー。師に不安はなかった。

「その時に思ったことは、祐一も俺もダービーを勝った経験があったということは、非常に大きかったですね」

互いの言葉に耳を傾け一丸で取り組む。そういう流れができていた。「自分に自信があるから、それだけの意見を俺にもぶつけられる。結局、最後の引退までそうだったね」。コントレイルという馬が築いた“航跡”-その中心にはいつも「もの言う」主戦がいた。

福永騎手は昨年、藤原英厩舎のシャフリヤールで連覇を達成。武豊の5勝に続く、ダービー3勝ジョッキーとなった。大舞台で勝つたびに自信を深め、関係者との結束を強めて築き上げた“福永時代”。絶頂期で迎える今年の相棒は、皐月賞馬ジオグリフ。前人未到の3連覇へ、機は熟した。【網孝広】(おわり)