<フェブラリーS>◇19日=東京◇G1◇ダート1600メートル◇4歳上◇出走16頭

記者が現場で取材をさせてもらうようになった09年11月、最初のG1エリザベス女王杯、クィーンスプマンテで競馬史に残る大逃げを決めたのが、当時デビュー4年目、23歳の田中博康騎手だった。メディアには丁寧に受け答えを行い、騎乗馬のオーナーには自筆でお礼の手紙を書く誠実な人。G1制覇から1年半後「自分に足りないものを取り入れたい」とフランスへ武者修行に出た。帰国後は騎乗依頼が激減したが、向上心を失うことはなかった。栗東に滞在し、各厩舎で学び、時間をつくると、また海外へ打って出た。

調教師に転身し、開業6年目。昨年はJRA通算100勝(平成以降の最年少記録)を達成するなど、着実に厩舎の成績を伸ばしてきた。今年、短期免許の外国人ジョッキーの身元引き受けとなったときに尋ねられた。「テオ・バシュロって聞き覚えがあって、すごく懐かしい気持ちになるんです。彼って、僕がフランスに行き始めた、かなり若い頃から乗ってないですか?」。調べると、11年5月14日のフォンテンブロー競馬場、田中博康騎手がフランス初騎乗初勝利を果たしたレースで、確かに当時18歳のバシュロ騎手も騎乗していた。恵まれた環境に甘んじることなく、単身で外国へ行き、ガムシャラに努力した日々が師の活躍の糧になっているのは間違いない。

予想コラム「キナミの帝王」でも書いたが、根岸Sの前に師と2人で食事した。「マイルに対応できるようにやってきているので」。距離の課題と向き合い、言葉通りの圧勝劇だった。自分が「今年の目標は田中博康厩舎がG1を勝って、泣くこと。よろしくお願いします」と言うと「任せてください。大丈夫です」と力強く返事があった。

厩舎の大仲(スタッフの休憩所、ミーティングを行う場所)には開業当初から「凱旋門賞制覇」の文字が書かれた額がかかっている。37歳の若きトレーナーの下、開業からまだやめたスタッフはゼロ。チームワークの良さも厩舎躍進の理由だ。目標はまだまだ遠いが、いつか必ずたどり着ける。【木南友輔】