プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月17日付紙面を振り返ります。2008年の1面(東京版)はG1史上初めてカラ馬が「1着」でゴールする珍事でした。

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<エリザベス女王杯>◇2008年11月16日=京都◇G1◇芝2200メートル◇3歳上牝◇出走18頭

G1史上初めてカラ馬が「1着」でゴールする珍事が起こった。武豊騎手(39)騎乗の3番人気ポルトフィーノ(牝3、栗東・角居)がスタート直後につまずき落馬。両肩打撲を負った騎手を置き去り、優勝したリトルアマポーラを差した。名門家系のアイドルホースだけに、スタンドからは大きなため息が漏れた。

真っ先にゴール板を駆け抜けたポルトフィーノの背中には、誰も乗っていなかった。ゲートを出てわずか2秒で武豊が落馬した。その瞬間、5番絡みの馬券40億2732万6200円分が紙くずとなった。

雨上がりの京都競馬場。悲劇は5万4922人の目の前で起こった。スターターの旗が振られ、18頭はスムーズにスタンド前のゲートに収まった。開くとほぼ同時に騎手が落ちた馬がいた。内ラチ沿いを滑走していく。どこからともなく声が漏れた。「武豊だ・・・。武豊が落ちた!」。1完歩目でバランスを崩し、2完歩目でつまずいた。武は何とか落ちまいとして首にしがみつく。手綱をつかんだが右肩から転がり落ちた。

カラ馬は気持ち良さげに17頭を抜き1コーナーで先頭に立った。逃げたコスモプラチナの石橋脩騎手が気にするのもお構いなく、スイスイと馬群を引き連れる。6馬身以上離す大逃げ。4コーナーでは外ラチに向かって突進した。普通は逸走してしまうケースだが、そこからが並の馬とは違った。G1一家の血が騒いだのか、通り過ぎた馬群めがけて走路に戻る。斜めに走りながら、残り300メートルで躍り出たリトルアマポーラに体を併せにいく。闘志むき出し。1馬身以上離してゴールに飛び込んだ。記録は競走中止。しかし、馬は勝ったつもりでいたに違いない。

武には6年前の悪夢が再び襲った。菊花賞のノーリーズンで発馬直後に落馬した時は起き上がって再騎乗しようとしたが、この日は微動だにせず。勝負服には血がついていた。担架で運ばれた競馬場内の診療室には兄貴分の石橋守や同期の蛯名、後輩の池添らが心配して駆けつけた。落馬から約1時間半後に姿を現した武は「残念。楽しみにしていたのに。僕は全身打撲です」と表情を曇らせた(診断は両肩打撲)。「後ろ脚で自分の前脚を引っかいて転んだ。防ぎようがなかった。この日のために、スタッフもいろいろやってきただけに・・・。残念です」。年末に向けてスパートした矢先のアクシデント。2月のフェブラリーS以来遠ざかっていたG1勝利を天皇賞(秋)のウオッカ、JBCクラシックのヴァーミリアンで連日手にした。ようやく大舞台の中心に返り咲いたのに、とんだ「主役」になってしまった。

◆カラ馬で走るということは 体重約50キロの騎手が背中からいなくなることで、馬が背負う物は2キロ程度のクラだけになる。つまりポルトフィーノの負担重量54キロは、ゼロに近かった。あるジョッキーは「馬の力を100とすると、自分が乗ることでどこまでそのマイナスを減らせるか」と話している。ただ走るだけなら騎手は邪魔な存在で、いかに馬にかける負担を少なくするかが腕の見せ所になる。馬は自分の意のまま気分良く走れればストレスもかからない。その一方、制御する者がいないとコースを逸脱してしまう。今回のケースのように4コーナーで逸走しかけながらゴールを目指した例は珍しい。

※記録と表記は当時のもの