1999年のクラシックは「3強」が熱いレースを繰り広げた。皐月賞はテイエムオペラオー、ダービーはアドマイヤベガ、菊花賞はナリタトップロードと、3頭がタイトルを分け合った。あれから24年。関係者が当時の激闘を振り返る-。

   ◇   ◇   ◇

「あの馬がいなかったら、今の僕はないです」

そう言い切ると、大きな瞳を細めて愛馬を懐かしんだ。四半世紀が過ぎようとしている今でも、ナリタトップロードには感謝の思いが尽きない。16年に厩舎を開業して、昨年にはヴェラアズールで国内最高峰のジャパンCを制覇。“トップへの道”を歩み続ける渡辺薫彦調教師にとって、かけがえのない1頭だった。

99年クラシックは「3強」とされた。立ちはだかるのはテイエムオペラオーとアドマイヤベガ。だが、当時、6年目の24歳に、ライバルを意識するまでの余裕はなかった。

「自分のことで精いっぱいでしたね。和田もすごく気苦労があったと思いますけど、オペラオーは操縦性が良さそうでうらやましかったです(笑い)。ベガは後ろでマークする形で切れ味を持っていましたし、豊さんの怖さもありました」

クラシック初戦の皐月賞には、トライアル弥生賞を完勝して臨んだ。

「弥生賞が会心のレースだったので、過信しすぎていたところもあったと思います。馬場も(良発表でも)悪くてハミをとらず、押っつけながらでした。跳びがきれいな馬なので、馬場が渋ると走りづらくて…」

向正面から手綱が動く。外の2強を追って3コーナーを回り、直線も伸びはしたが、雨に切れ味をそがれた。結果は3着。良馬場のダービーでは1番人気に推されたが、ゴール前で差されて首差の2着に敗れた。レース後はまぶたを泣き腫らし「すごい馬です」と相棒をたたえた。

「あの時は若かったです。右も左も分からない感じで…。今から思うと恐ろしくてゾッとします。負けることによって重みを感じましたし、菊花賞では負けた経験が生きたと思います」

ラスト1冠ではリスク覚悟で先行策を敢行して、春の無念を晴らした。将来を切り開く大きな1勝だった。だから今も感謝する。

「いろんな可能性をくれた1頭です。性格は『ウマ娘』の設定そのままだと思いますよ。実は慢性的に背腰が弱かったりしたんですが、それをこらえて頑張ってくれました」

調教師試験に合格した直後には、師弟そろって北海道にある墓を訪ねた。沖芳夫師(当時)の目には涙があったという。

「僕も、ああいう馬をつくりたいです。ファンのみなさんに愛される馬づくりを一番に考えています」

まさに理想の競走馬だった。いつかまた、そんな存在に“再会”できる日を夢見て、信じる道をひたむきに進んで行く。

(※4月発売「ウマ娘&皐月賞特集号」掲載記事)

【99年3強物語(1)】テイエムオペラオー 和田竜二騎手「なんやこの馬は。とんでもないな」

【99年3強物語(2)】アドマイヤベガ 武豊騎手 ギリギリの体調でダービー制した“1等星”