個性派、異色、異端…。どんな枕ことばもその規格から外れてしまうと思います。「こんな変な調教師いないよなあ」。ニヤッと笑う小桧山悟師(70)に、自分は「そんなことないですよ」とは言えませんでした。だって唯一無二の人ですから。厩舎の定年解散まで、残りは数日間。飯田雄三師、加用正師、高橋裕師、中野栄治師、松永昌博師、安田隆行師とともに今週末が厩舎としては最後の開催日となります。

最終週に合わせて、小さな本ができました。制作は「小桧山厩舎卒業アルバム委員会」。ホースフォトグラファーの岡崎千賀子さんを中心に写真を撮り集め、出来上がったものを自分もいただきました。スタッフ、門下生、牧場関係者、獣医師…。厩舎を支えてくれた人たちをはじめ、仲のいい厩舎関係者の顔が並びます。「自分の顔、好きじゃないんだよな」。そう言いながら、ページいっぱいに広がった笑顔たちを照れくさそうに眺めました。

この日の調教後、厩舎の大仲にお邪魔しました。小桧山厩舎から調教師となった青木師、高野騎手、気田助手と談笑していると、国枝師が奥さまを連れて、小桧山師のもとを訪ねてきました。2人は東京農工大馬術部の出身。約50年の付き合いがひとつの区切りを迎えます。学生時代、後輩の国枝師の下宿先にあった洗濯機、洗剤をこっそり使っていたことも楽しい思い出話。大学の後輩は、調教師としては先輩にあたります。

今から30数年前のこと。調教師試験は分厚く、高い壁でした。1次試験の試験開始前、裏返した問題用紙から問題が透けて見えていても、まるで答えが分からない。挑戦1年目も、2年目も。心が折れかけました。しばらくして、すでに試験をパスしていた国枝師に呼び出されたといいます。

「勉強したノート貸してあげるから、手書きで写せって言われたの。で、写したら受かった。あいつ、2時間も説教してきたんですよ。山崎厩舎の2階で。ちゃんと勉強してるのか、ああだこうだとかって。(国枝)栄ちゃんは大学の一期下で、子分だから。『俺の犬の世話をしてたじゃねーか』って言いかけたけど。はい、わかりましたって」

晴れて95年に調教師免許を取得すると、個人馬主に寄り添ったトレーナー生活を貫きました。時間をつくっては小学4年で手に取ったカメラを持ってサラブレッドだけではない、馬たちのいる場面を写真に収めてきました。調教師業の傍ら、出版した本は10冊。NAR特別表彰(交流競走1000回出走)、JRA特別表彰とオンリーワンのホースマンでした。

国枝師は小桧山師に尊敬の念を抱き続けています。「コビさんはすごいよね。馬事文化を含めて、いろんな形で競馬を見てきた。それをきちっと写真にも撮ってきた。(22年10月から23年2月まで競馬博物館で行われた)尾形藤吉展も全部取材して裏を取ったりしていたからね。去年末のJRAの特別表彰も、馬事文化賞をあげるべきだったと思う。現場にいて、あれだけ資料を持っている人間はいないわけですから。とにかく写真を持っているというのがすごいと思う」と賛辞を惜しみません。心が通じ合った、すてきな先輩後輩関係です。

最終週は6頭の管理馬を送り出します。日曜中山8Rタケルジャックが小桧山厩舎のオーラス。武豊騎手と最後の競馬を戦います。「“武豊教”だから。最後の最後に乗ってもらえる。こんなにうれしいことはないよ」。助手時代の90年には武豊騎手の米国滞在に通訳として同行。心酔するレジェンドとのレースで調教師生活を終えます。「最後の10年間は本当に楽しかった。青木(師)がうちの厩舎に来ていなかったら、途中で調教師をやめていたかもしれない。本当にスタッフ、みんなに感謝だよね」。お別れの時が刻々と迫ってきました。【松田直樹】