伊豆半島の下田と三浦半島の浦賀をつなぐブルベ「あおば400キロ黒船」(湘南台~下田~小田原~横須賀~久里浜~三浦~鎌倉~湘南台)に参加した。ヴェロ・クラブ・ランドヌール(VCR)横浜あおばの主催で、下田で黒船祭が行われる14日に開催された。ペリー総督率いる黒船は幕末の53年6月に浦賀へ現れ、翌54年3月には日米和親条約で開港された下田に来航した。「黒船の歴史を感じるコース」という壮大な謳い文句だったが、334キロ地点の浦賀へ着くのはどうみても夜中だ。そんなものを感じる余裕なんてあるのだろうか。


黒船400(藤沢・湘南台~下田~小田原~横須賀~久里浜~三浦~鎌倉~藤沢・湘南台)のコース
黒船400(藤沢・湘南台~下田~小田原~横須賀~久里浜~三浦~鎌倉~藤沢・湘南台)のコース

14日は未明から雨が降り出し、風も強くなった。天気予報では「関東南部、伊豆諸島は大雨の恐れ。落雷、突風、竜巻など激しい突風に注意」となっていたが、午前9時ごろにはやみ午後からは晴れ間もあるという。午前7時に藤沢・湘南台をスタートするので2時間我慢すればいい。そう思い出走することにした。「1日中雨よ」とお天気お姉さんに言われていたら布団から出ることはなかっただろう。


雨のライドはつらい。ブレーキが利かなくなることや、濡れた路面でのスリップ、さらに雨で視認性の落ちた車に注意することなどはもちろんだが、一番困るのは途中で気軽にコンビニやお店に入れないこと。びしょ濡れで入るのは気が引けるし、屋根があるところでの補給もままならない。だから楽しいはずのサイクリングが苦行になってしまうのだ。もう一つあった。乗った後のメンテナンスを考えると走る前から気が滅入る。


ただ濡れること自体は苦にはならない。走り出すときはもちろん嫌だが、いったん濡れてしまえば諦めの境地となる。一番いいのはずっと雨が降り続けること。これならレインウエアを着たままでいいからだ。やっかいなのが降ったりやんだりするケース。脱いだり着たりで時間を取られてしまう。


この日は上はゴアテックス、下は膝下までのハーフパンツのレインウエアで臨んだ。シューズにはレインカバーを付けたがこれは気休め。SPDシューズを履いているのだが、内側にシールを貼ったりしても水の浸入は抑えられない。この日もスタート地点までの12キロの自走ですでに靴の中はびしょ濡れだ。


午前7時前、藤沢市内の公園を最後方でスタート。土砂降りの中を走り出した「精鋭」は女性を含め13人だった。


14日午前6時39分、スタート地点の藤沢市内の公園でブリーフィング
14日午前6時39分、スタート地点の藤沢市内の公園でブリーフィング

走り出してしばらくして下のレインウエアをハーフパンツにしたことを後悔した。漕ぎやすさを優先して選択したのだが、レッグウオーマーを付けていても水滴で冷たい。車からの水しぶきももろにかぶる。これまではこれで耐えてきたのだが…。次回への反省材料か。こうやってブルベに参加するごとに欲しい物が増えていく。


雨は35キロ付近の小田原で小降りとなり、58キロ付近の熱海付近で完全にやんだ。天気予報通りだった。ただ、熱海の土砂災害現場付近を走っているときに防災無線が「高齢者は避難」などと呼びかけているのが聞こえてきた。何かの警報でも出ているのだろうか。この日、横浜の青葉区で停電が発生しているのは知っていたが(風雨のためでなく水道工事が原因と後日判明)、熱海までは確認していなかった。風の音などで聞き取れず、やや不安な気持ちのまま走り続けた。後で調べると、熱海には大雨注意報が前日から発令され、解除されたのはこの日の午前11時過ぎだった。


14日午前9時38分、熱海の寛一お宮の像
14日午前9時38分、熱海の寛一お宮の像

雨は上がったが、レインウエアはしばらく着たままにして乾くのを待ち、70キロ付近の網代のコンビニで脱いだ。レインウエアを着ているとはいえ雨水は浸入してきており、汗も多量にかいているのでインナーはびしょ濡れだ。走り始めは寒いほどだったが、走れば風を切って通気性も良く、気温も高くなることが分かっていたのでそのうち乾くだろうと我慢して走り続けた。夜間走行のためにウインドブレーカーが必要であったため、グローブだけは替えを用意していたがサドルバックにインナーの替えを入れる余裕はなかった。結果的に気がつけばウエアは乾き、ぐしょぐしょだった靴の中も快適さを取り戻した。命をつないだレインウエア一式はこの後の330キロの間、邪魔な荷物となった。


今回のチェックポイント(PC)はすべてランドマークとブルベカードを一緒に撮影することだった。最初のPCは伊東の先で、国道135号を外れ、県道109号に入ってすぐにある82・1キロ地点の汐吹公園。ここは太平洋岸自転車道でもあり、海岸沿いの道を伊豆高原まで進んで再び国道に合流する。今年2月に河津へ行った際にも通った道だ(詳細はこちら)。到着が午前11時3分なので貯金は1時間25分。ここで一瞬だが参加者が4人そろった。


14日午前11時3分、チェックポイント1の汐吹公園
14日午前11時3分、チェックポイント1の汐吹公園

雨は上がったとはいえ、山側の排水溝からは水が噴き出しており、大きな水たまりも道の所々にある。川は濁流となって激しさを増し大雨の後遺症を感じさせた。


14日午後1時10分、下田・尾ケ崎ウイング先からの眺め。遙かに白浜海岸が臨める
14日午後1時10分、下田・尾ケ崎ウイング先からの眺め。遙かに白浜海岸が臨める

133キロ付近の下田に到着したのは午後1時半ごろ。腹ぺこになりながらもここまで我慢したのは道の駅開国下田みなとで「下田バーガー」を食べたかったからだ。1100円はちょっと高いかなと思ったが、金目鯛のフライに加え、カマンベールチーズまで入っていてボリューム満点の巨大バーガーを見た瞬間、値段に納得。あごが外れそうなくらい口を目いっぱい開けてぱくついた。満足の味だったよ(^o^)


14日午後1時32分、下田港のまどが浜海遊公園
14日午後1時32分、下田港のまどが浜海遊公園
14日午後1時40分、下田バーガー
14日午後1時40分、下田バーガー
14日午後1時44分、金目鯛のフライが入っている下田バーガー
14日午後1時44分、金目鯛のフライが入っている下田バーガー

この後、コース外の下田開国博物館などに立ち寄った。ペリーロードからペリー艦隊来航記念碑まで行きたかったが、道が狭いし時間も気になったので断念。約1キロの寄り道でコースに復帰した。


ちなみに黒船祭。今年は規模を縮小し3年ぶりに開催されたはずだが、現地を通過した際、駅前にはイベントを知らせる掲示があったが、パレードなどが行われた時間帯は下田におらず、その雰囲気を感じることはまるでなかった。


14日午後2時5分、下田開国博物館
14日午後2時5分、下田開国博物館
14日午後2時8分、黒船ミュージアム前
14日午後2時8分、黒船ミュージアム前
14日午後2時8分、川の左の道がペリー通り
14日午後2時8分、川の左の道がペリー通り

石廊崎から勾配がきつくなり、強烈な向かい風の中を3キロほど上ると第2PCの南伊豆「あいあい岬」にたどり着く。時刻は午後3時10分で、貯金は2時間6分。ここでも暴風といっていいくらいの風が吹いていた。ブルベカードを吹き飛ばされないよう、風景と一緒に撮影し折り返す。距離は150キロでまだ半分も走っていない。先は長い。


折り返しなのでここに来るまでに5人とすれ違った。トップとは30キロほどの差があったようだ。あいあい岬には1人が先着しており、折り返した後は後続の2人とすれ違った。だが、この後、ゴールまでの250キロの間は誰の姿も目にすることはなかった。


14日午後2時47分、南伊豆の海岸
14日午後2時47分、南伊豆の海岸
14日午後2時54分、石廊崎
14日午後2時54分、石廊崎
14日午後3時10分、折り返しのあいあい岬
14日午後3時10分、折り返しのあいあい岬

さて、再び海岸線をひたすら走って三浦半島の浦賀、久里浜を目指すのだが、途中で伊豆急下田駅の前にそのものズバリの黒船を発見したのでストップ。ペリー艦隊のサスケハナ号で、汽走軍艦2450トン、全長約100メートル、乗組員300人。52年に日本に向けて出港し、54年3月に下田に入港したとあった。下田港にはこのサスケハナ号を再現した遊覧船もあるようだ。


14日午後3時36分、道沿いにはフェニックス。南国らしい風景だ
14日午後3時36分、道沿いにはフェニックス。南国らしい風景だ
14日午後4時4分、伊豆急下田駅前の黒船「サスケハナ号」
14日午後4時4分、伊豆急下田駅前の黒船「サスケハナ号」

伊豆の東海岸はアップダウンだらけ。特に伊豆高原への上りがつらい。勾配は5%前後でそれほどでもないのだが、伊豆ぐらんぱる公園までの一直線の上りが5キロほど続く。時刻は午後6時を過ぎ、だんだんと暗くなってきた。


国道135号はきつかった。海岸線の道は狭く、路肩はほぼない状態。帰りは山側なので水たまりもある。なのに後続の車はひっきりなしにやって来る。水たまりを避けながら、バックミラーに映る光を確認し、後続の車に抜かせる余裕を与える運転はストレスがたまった。煽られているわけではないが、すぐ後ろにピタリと付けられると「悪いな」とプレッシャーを感じてしまう。道幅が広くなる熱海に着いたときは解放された気分になってほっとした。


その熱海まで戻ってきた時、海岸沿いの歩道に人が鈴なりとなっているのを見てびっくりした。全員がスマホを手に空を見上げている。この日はほぼ満月(16日が満月でフラワームーンというらしいと後で知った)なので月見? それにしては人が多すぎると不審に思っていたら背後から「ど~ん」という爆発音。花火だー! 時刻は午後8時20分ごろだったか。こんな偶然があるんだねぇ。しばし夜空を彩るショーを楽しんだ。


14日午後7時19分、伊東のライトアップされたフェニックス
14日午後7時19分、伊東のライトアップされたフェニックス
14日午後8時14分、熱海のライトアップされた寛一お宮の像
14日午後8時14分、熱海のライトアップされた寛一お宮の像
14日午後8時21分、熱海の花火
14日午後8時21分、熱海の花火

遅い夕食は午後10時半ごろに大磯のラーメン店で「肉そば」。ここまでで280キロ。これまでロングライドになると固形物が食べられなくなって困っていたが、ちゃんと座って落ち着くと胃の中へ流し込めた。ブルベを始めて15年。胃腸も強くなったか。


14日午後10時24分、遅い夕食は大磯のラーメン店で肉そば
14日午後10時24分、遅い夕食は大磯のラーメン店で肉そば

大磯駅前からは国道1号を離脱して国道134号へ入り、江ノ島、鎌倉を抜け、横須賀へ。322キロ地点の横須賀駅付近で日付が替わり、深夜の三浦半島1周が始まった。


観音崎公園の先にある331キロ地点の第3PCのたたら浜の黒船のマイルストーンに到着したのは午前1時12分。貯金は4時間とかなり余裕な展開となっている。マイルストーンとはサイクリストのために三浦半島観光連絡協議会が設置した記念撮影用モニュメントのことで、三浦半島に8個所ある。過去に回ったことがあるので(詳細はこちら)場所は知っており、真っ暗でも迷うことはなかったが、知らないと途方に暮れそうな気がする。


いや、それよりも満月の深夜にイカ釣り漁船のようにいくつもの光りを放つ自転車に乗った、超派手な格好のおじさんが次々とやって来て、真っ暗な中、モニュメントの前でカードをかざしながら真面目な顔で写真を撮っている図というのは怪しい以外何者でもない気がする。島田荘司のミステリーに出てきそうなシーンだ。


ともかく黒船ミッションはこれでコンプリート(^o^)。


15日午前1時12分、たたら浜の黒船のマイルストーン。この日はほぼ満月だった
15日午前1時12分、たたら浜の黒船のマイルストーン。この日はほぼ満月だった
15日午前1時12分、たたら浜の黒船のマイルストーン
15日午前1時12分、たたら浜の黒船のマイルストーン

浦賀駅前を通過し、開国橋を越えた先の340キロ地点の久里浜海岸到着は午前1時40分。海岸沿いの道はペリー通りと呼ばれており、海と反対側にペリー公園があるが、真っ暗で何も見えない。やはり歴史を感じるどころではなかった。


15日午前1時36分、久里浜の開国橋
15日午前1時36分、久里浜の開国橋
15日午前1時38分、久里浜海岸
15日午前1時38分、久里浜海岸
15日午前1時40分、久里浜のペリー公園前
15日午前1時40分、久里浜のペリー公園前

時刻は午前2時に近い。この頃から強烈な眠気が襲うようになってきた。400キロ以上のロングライドではいつもこの時刻ぐらいから眠くなる。眠気覚ましのガムを買うのを忘れたので周囲に民家もないことだし、歌を歌って眠気を無理矢理抑える。この時いつも思う。レパートリーが少ない(T_T) 同じ歌を繰り返し歌ってしばらく頑張ったが、ふっと意識を失ったような感覚が何回か続き、危険を感じたのでたまらずトンネルの入口付近に座り込んで数分間目を閉じた。幸い車は来なかった。


ブルベは400キロからが本番と言われるゆえんである。夜を徹して走るナイトライドは大人の冒険。つらいけど、それがいいんだなぁ。


355キロ地点の最終PCの宮川公園のマグロと大根のマイルストーンにやっとのことでたどり着いたのは午前2時42分。貯金は4時間2分。風がすごく、風車はぐおんぐおんと回っていた。なんとなく不気味。


15日午前2時42分、三浦・宮川公園のマグロと大根のマイルストーン
15日午前2時42分、三浦・宮川公園のマグロと大根のマイルストーン

残りは45キロ。しかし、北を向いた途端に強烈な向かい風となり、ケツも擦りむけてきたようで悲惨な状態となった。そして再び襲いかかる睡魔。寝床はないかとヨロヨロ走っていたら、370キロ地点の横須賀市民病院前で小屋風のバス停発見。三方が囲まれているので風がしのげ、椅子もベンチなので寝転がることができる。おまけにゴミもなくきれい。天国だったよ。目を閉じ、しばらくすると夢を見たような気がした。少しは眠れたのだろう。時間は数分しか経過していなかったが、多少は回復できた。


やがて夜が明ける。希望の朝である。曇ってはいるが、これまでの経験から言うとこれで眠気は去っていくはずだ。


15日午前4時53分、鎌倉・由比ケ浜
15日午前4時53分、鎌倉・由比ケ浜

「アオバヒドイ」がトレードマークのVCRあおばだが、今回のコースは「坂の無い(あおば比)フラットコース」だという。だが、最後の最後に強烈な上りが待っていた。大船駅付近から横浜・小雀浄水場への短いが10%超の2段階の激坂。富士山が見えるということだったが、この日は曇りでそれも見えず。早朝に汗をかいただけに終わった。ところで今回の獲得標高は3923メートル。これをフラットとは言わないと思うが…。


ゴールは午前6時5分。制限時間の27時間に対し、所要時間は23時間5分。まずまずかなと思ったら、トップは17時間台だという。信じられん。それでも400キロは4年ぶりの完走で、60代になってからは初。達成感もひとしおで、まだまだ走れることが確認でき、ほっとひと息だ。


実はこの時点でケツは限界をとうに超えており、12キロ先の自宅に帰るのも地獄だった。「あー」とか「ひー」とか悲鳴を上げながらヨロヨロになって帰宅。でもシャワー後に飲んだビールは最高だったよ(^o^)。前日は休肝日だったしねぇ。【石井政己】