「富山地鉄」で親しまれる富山地方鉄道は鉄道路線と路面電車の軌道線からなる。全長100キロ以上という、地方私鉄としては長大な路線を持つ「富山地鉄」の全線乗車を行うべく足を運んだ。ルートは同じ富山県の高岡から。今年3月に訪れた際に「やり残したこと」も含めてのアプローチとなった。(訪問は10月17日)

今年4月30日の記事で万葉線を取り上げた際「氷見線能町駅からの乗り換えと新湊のすしを味わいたいと決心している」と書いた。訪問は3月1日だったが、その後の新型コロナウイルス感染拡大のため、随分時間が空いてしまい、ようやくの「公約実現」となった。高岡から氷見線で2駅の能町に到着。古くからの駅舎は無人駅だが、広い構内と多くの側線を持つ。(写真1~4)

〈1〉高岡駅から氷見線のキハ47に乗車
〈1〉高岡駅から氷見線のキハ47に乗車
〈2〉歴史を感じさせる能町駅
〈2〉歴史を感じさせる能町駅
〈3〉広い構内と側線を持つ
〈3〉広い構内と側線を持つ
〈4〉新湊線は右に向かい、氷見線は左へ向かう
〈4〉新湊線は右に向かい、氷見線は左へ向かう

施設はここから分岐する貨物線の新湊線のため。JR貨物が第一種鉄道事業者となっている。JR貨物は他社の線路を借りて運行する第二種鉄道事業者となる形式がほとんど。東海道線などのJR各社や各地の第3セクターを貨物列車が走る姿を目にすることがあると思う。鉄道会社が線路や駅、施設を所有、管理するのが第一種。先ほどの例だと東海道線についてはJR東日本や東海、西日本が第一種となる。

貨物専用線を各地に張り巡らせるのは不可能なのでJR貨物の第一種は貴重。またJR貨物の第一種は路線名も東海道線や関西線など既存路線の支線となっており、新湊線と独立した名前になっているのは、ここだけという貴重だけでなく唯一の存在だ(ただし今は定期運行はない)。

〈5〉万葉線の新能町停留所
〈5〉万葉線の新能町停留所
〈6〉念願のドラえもんトラムに乗車(西新湊駅で)
〈6〉念願のドラえもんトラムに乗車(西新湊駅で)
〈7〉ドラえもんもマスク着用
〈7〉ドラえもんもマスク着用

ここから万葉線の新能町停留所までは徒歩数分で、いわば乗換駅となっている(写真5)。電車を待っていると、やって来たのは、おおっ、前回乗れなかったドラえもんトラムではないか(写真6、7)。高岡が藤子・F・不二雄さんの出身地であることから8年前に登場。当初は1年限定だったが、好評につき延長を重ねて来年までの運行が決まっている。その後、新湊で念願のすしを堪能し、いよいよ終点の越の潟から無料の県営渡船で対岸へと向かい、土日祝日しか味わえない万葉線、富山地鉄のグルリ1周旅へと向かう(※)(写真8、9)。

〈8〉こちらも念願だった新湊のすし
〈8〉こちらも念願だった新湊のすし
〈9〉渡船で対岸へと向かう
〈9〉渡船で対岸へと向かう
〈10〉岩瀬浜から富山港線で富山駅へと向かう
〈10〉岩瀬浜から富山港線で富山駅へと向かう

バスに25分揺られると富山地鉄・富山港線(富山ライトレール)の終点である岩瀬浜に到着。市内へ向けて出発しよう(写真10)。富山港線の前身は同名のJR路線である(後述するが正式の前身は富山ライトレール)。もともとは富山地鉄の路線だったが、戦時中の国有化政策によって国鉄となり、JRに引き継がれた。だが乗客減によって運行本数が減る→さらなる乗客減というループに陥り、廃線危機にも陥ったところで生まれたのが路面電車化。06年に富山ライトレールに転換。昼間も15分間隔の運転など運行を大幅に増やすことによって市民の足として定着した。

〈11〉富山駅停留所
〈11〉富山駅停留所

その富山ライトレールの転換期が今年。富山地鉄の路線となり、3月にはJR高架下にある富山駅停留所で従来の軌道線と一体運行を行うようになった(写真11)。戦時中に富山地鉄の手を離れ国鉄となった路線が77年ぶりに戻るという、これもまれな鉄路と復帰となった。

〈12〉日没間際の車窓を見ながら富山大学前に向かう
〈12〉日没間際の車窓を見ながら富山大学前に向かう
〈13〉富山大学前停留所
〈13〉富山大学前停留所
〈14〉土曜日だったが多くの利用があった
〈14〉土曜日だったが多くの利用があった

岩瀬浜からの車内で軌道線の1日フリーきっぷを購入して軌道線に乗り込む。富山駅の接続部分でいったん下車。フリーきっぷは南富山までは鉄道線にも乗れるので南富山で軌道線に乗車。富山駅から富山大学前に着いたころには日没の時間だった(写真12)。土曜日だったが停留所は多くの高校生、大学生でにぎわっている。時刻表を見ると平日朝のピーク時は5分間隔の運行になっていることが納得できた(写真13、14)。

今夜の宿は富山の繁華街、総曲輪(そうがわ)である。丸の内まで戻って、逆時計回りの一方通行となっている都心線に乗り完乗となった。停留所には軌道線の歴史が記されたりしていて楽しいひとときだった。【高木茂久】

(※)万葉線と県営渡船については4月30日の記事「立川志の輔アナウンスの万葉線」https://www.nikkansports.com/leisure/column/railwayclub/news/202004280000287.htmlを参照してください。