越美北線の1日4・5往復区間の途中駅回収は、いよいよ楽しみにしていた柿ケ島駅。ただ柿ケ島はもちろん、他の駅で大パノラマを味わったり、マイカー訪問ならではの発見など、自分の予想以上に収穫の多い日帰り訪問だった。まだ雪が降る前の11月上旬の出来事です。また過去の時刻表を広げ現在と比べてみました。(訪問は11月10日)

越美北線の途中駅では貴重な駅舎のある勝原を後にして国道158号を進む。お隣の柿ケ島までは線路距離2・5キロと近いが、線路と国道が九頭竜川の北と南に分かれ、道路が高台を進む分、車で行くには(徒歩も同様)ひとつ先の下唯野から戻る形になる。その前にお昼になったので道の駅で腹ごしらえである。

訪れたのは道の駅「越前おおの 荒島の郷」である。過去2回、大野市を訪れたことがあるが聞き慣れないなぁ、と思っていたら、4月に開業したばかり。そして巨大だ。平日の正午で駐車場は大いににぎわっている。週末の混雑ぶりが容易に想像できる。福井らしく「越前そばとミニソースかつ丼のセット」をいただき大満足。(写真1、2)

〈1〉4月に開業したばかりの道の駅「越前おおの 荒島の郷」
〈1〉4月に開業したばかりの道の駅「越前おおの 荒島の郷」
〈2〉越前そばとミニソースかつ丼のセットで昼食
〈2〉越前そばとミニソースかつ丼のセットで昼食

さて訪問して分かったのだが、このピカピカの道の駅の最寄り駅は下唯野である。徒歩約15分。道の駅ホームページにもそう記されているが、駅の頭上を行く道路沿いにあるため車窓や駅からは見えない。道の駅オープン前まで1日の利用客が1ケタでの当駅に、もう少しアピールがあってもいいとは思った。

いよいよ柿ケ島へ。下唯野と柿ケ島は線路から離れることになる徒歩でも約20分と、きわめて近い。そしてなぜ待望の訪問だったかというと、コロナ禍以前から「利用者ゼロ」の駅として知られているから。もっともこれは利用者が誰もいない、というわけではない。あくまでも1年間の1日平均だし、青春18きっぷのようなフリーきっぷはカウントされないと思われる。

いったいどんなところか道中ドキドキしたが、これは「駅あるある」で駅までの道も含め、周囲は普通に住宅と農地だった。それはそうだ。意味のない駅などないのである。もっとも下唯野からだと九頭竜川を渡った鉄橋の先にあるため駅の南側は川と森で駅そのものも山を控えた住宅街の端にあるため利用者が少ないことは想像できる。盛り土の高台にあるホームへはスロープと階段で入る。待合室と棒状ホームのみという越美北線ではおなじみの構造。風雪に耐えてきた駅名板が印象的だ。ホームの奥に鉄橋がある光景が美しい。(写真3~6)

〈3〉駅は盛り土の上にあり、スロープか階段で入る
〈3〉駅は盛り土の上にあり、スロープか階段で入る
〈4〉柿ケ島の駅名標
〈4〉柿ケ島の駅名標
〈5〉文字には年季が入っていた
〈5〉文字には年季が入っていた
〈6〉ホームの向こうはすぐ鉄橋となっている
〈6〉ホームの向こうはすぐ鉄橋となっている

ここでぼんやりしていたいところだが、秋の日はすぐ暮れてしまう。4・5往復区間の駅最後の回収に向かう。越前田野は越前大野の隣駅で、もう大野の市街地に近い。ホームと待合室だけのおなじみの構造だが、田んぼの中にポツンとたたずむホームに立つと山に囲まれた大野盆地の中にいると実感できるパノラマ状態に心を奪われる。秋の澄んだ空気がおいしい。近くに観光地があるわけではないが、本数の少なさがもったいなく感じた。(写真7~9)

〈7〉越前田野のホーム
〈7〉越前田野のホーム
〈8〉越前田野駅には階段で上がるようになっている
〈8〉越前田野駅には階段で上がるようになっている
〈9〉駅の周囲を見ると盆地の中にいることが実感できる
〈9〉駅の周囲を見ると盆地の中にいることが実感できる

さて田んぼの中といえば、12月2日の記事で足羽駅について福井から3駅目、10分で到着するのに「近くに中学校があるだけで本当に田んぼの中」と記したが、実はその足羽第一中学校のOBが身近にいた。世の中狭いものである。私と同世代のOB氏によると、半世紀近く前も田んぼと中学校しかなく、そのころは学校に50メートルプールがあったという。公立中学のプールは普通、短水路の25メートルだから、なかなかすごい。ではその当時、一体どのぐらいの列車が走っていたのか気になって調べてみた。(写真10、11)

〈10〉足羽駅は田んぼに囲まれ、近くに中学校だけがある(訪問は9月)
〈10〉足羽駅は田んぼに囲まれ、近くに中学校だけがある(訪問は9月)
〈11〉足羽駅を支えているのは古いレールのように見える(訪問は9月)
〈11〉足羽駅を支えているのは古いレールのように見える(訪問は9月)

手元に1964年10月と88年3月の時刻表(復刻版)がある。前者は東海道新幹線開業時、後者はJR移管1年で瀬戸大橋開通時のもの。少し驚いたのだが、開業から4年、勝原が終点の時代、福井~越前大野が9往復(平日の朝に福井~越前東郷の部分運転があった)で88年も同様だった。現在とほとんど変わっていない。ただし64年時点では変則の快速運転が行われており、この年に遅れて設置された足羽と越前高田の停車は上り(福井行き)が4本(平日は5本)、下りは3本(平日も同様)しかなかった。

開業時は旅客輸送よりむしろ鉱山(現在は廃坑)からの亜鉛運搬が期待されていたという。それまで京福電鉄で大野から勝山を経て運んでいたものを直接国鉄の線路で運べるからだ。越美北線の開業で貨物も旅客も減少した京福電鉄の京福大野~勝山は74年に廃線となる。ただトラックに押され、越美北線の貨物輸送も8年後に廃止された。

1日3往復と今は閑散区間の代名詞のように言われる芸備線の東城~備後落合(広島県)が64年当時、1日8往復に加え1、2本の準急が走っていたことと比べると越美北線では同じ本数が維持されてきたことになる(ちなみに88年も芸備線の同区間は8往復)。大きな違いは88年時点では、ほとんとの列車が九頭竜湖まで運転されていたものが、やがて越前大野止まりが半数近くという現在の姿となった。

帰路につく際、大野高校付近で給油。ガソリンスタンドで北陸自動車道インターまでの時間を尋ねると「30分もかかりませんよ」。そんなにすぐ着かないだろうと思ったのだが、立派なバイパスがあるのを私は知らなかった。そういえば9月に市波駅まで福井駅からバスに乗車した際「交通量の少ない国道だな」と感じたが、そういうことだったのだ。それでも意地で難読駅の小和清水には立ち寄ったが、旧道に寄り添う越美北線の存在感は薄くなりつつある。(写真12~15)

〈12〉かなりの難読駅である小和清水
〈12〉かなりの難読駅である小和清水
〈13〉小和清水のホームも待合室があるだけの棒状となっている
〈13〉小和清水のホームも待合室があるだけの棒状となっている
〈14〉一見難読駅の計石は旧国道に寄り添っている
〈14〉一見難読駅の計石は旧国道に寄り添っている
〈15〉難読駅のようだが普通に「はかりいし」と読む
〈15〉難読駅のようだが普通に「はかりいし」と読む

芸備線、姫新線は中国自動車道が寄り添うように開通したことで利用者が減った。今回、美濃白鳥から開通部分を利用した中部縦貫道も来年度には現在の大野インターから勝原、下山を経て九頭竜湖に近い和泉インターまで開通する予定である。

柿ケ島駅で冬場の案内があった。大雪の際は越前下山を通過して折り返しで乗下車扱いをするという。現地からはすでに雪の便りが届いている。今回分かったように残念ながら食事やお手洗いなど、地方の旅は現状、車利用が圧倒的に便利である。それでも気軽に行けるかどうかは別として次回はやはり列車で各駅に降りたってみたい。【高木茂久】(写真16、17)

〈16〉柿ケ島駅の冬季向け案内
〈16〉柿ケ島駅の冬季向け案内
〈17〉柿ケ島の時刻表
〈17〉柿ケ島の時刻表