芸備線の三次~備後落合全駅訪問は、いよいよ佳境に入る。ここからは独特の歴史と特徴を持つ駅が続く。中でも比婆山駅には歴史があふれていて、神社のような駅舎を持ち、なおかつとても貴重な駅名板が掲げられている。備後落合のひとつ手前ということで、なかなか降りにくいかもしれないが、ぜひ訪れてほしい駅である。(訪問は4月8、9日)


◆(バス)落合駅前16時32分→比婆山駅前16時41分

三次から16時15分に備後落合に到着した列車は約1時間の待機後、再び三次へと折り返す。東城・新見方面への乗り継ぎはないというか、同方面へは4時間後の出発。接続は木次線で、宍道からの列車が備後落合に到着するのは17時1分。40分の待機後、宍道方面へ折り返す。三次方面へは17時15分に出発する。

今回はその待機時間を利用。比婆山にバスで先回りし、折り返し列車をつかまえて宿泊地の備後庄原に向かう作戦。おかげで備後落合滞在は事実上15分ほどになったが、バスも時刻通りで順調に到着。芸備線の線路とは西城川を挟んで走る国道183号を行くが、所要時間は約10分。それに対し列車は約15分もかかる。距離的にはバスの方が遠いぐらいだが、芸備線のこのあたりは制限速度が設けられており、よく言えば徐行運転で川の景色が美しいのだが、ぶっちゃけると谷あいをソロリと走るノロノロ運転。(写真1~3)

〈1〉備後落合からのバスは「HIBAGON」だった
〈1〉備後落合からのバスは「HIBAGON」だった
〈2〉神社の社殿風の駅舎が出迎えてくれた
〈2〉神社の社殿風の駅舎が出迎えてくれた
〈3〉比婆山の駅名標も独特の字体だった
〈3〉比婆山の駅名標も独特の字体だった

たった5・6キロに15分もかかる(単純に時速22キロ)のだから、それはバスの方が早くなってしまう。数多くの列車が走っていたころは、所要時間は半分だった。保線の現状がなんとなく分かる。

バスを降りると神社の社殿風の堂々とした駅舎が出迎えてくれた。比婆山は備後西城から備後落合まで線路が伸びた1935年に設置された。開業時の駅名は備後熊野。熊野神社参拝の最寄り駅だったからで、駅舎がそれを物語っている。とはいえ、神社までは約10キロ。徒歩だと2時間半ぐらいかかる。マイカーや舗装された道路とは縁遠い昭和初期と現在の距離感覚は異なるとはいえ、近い距離ではない。

そんな背景があったからかどうか分からないが、戦後10年以上が経過したころ、駅名は現在のものになった。比婆山の知名度を生かして観光拠点としたかったのかもしれない。「国定公園 比婆山」の木製看板がある。駅の外はちょっとした庭園風で池も。植木もきれいに手入れされている。(写真4~6)

〈4〉駅開設の石碑が残る。桜はまだ満開ではなかった
〈4〉駅開設の石碑が残る。桜はまだ満開ではなかった
〈5〉駅の周囲は庭園風となっていて池も植木もきれいに手入れされている
〈5〉駅の周囲は庭園風となっていて池も植木もきれいに手入れされている
〈6〉現在は無人駅。駅舎内に写真が張られている
〈6〉現在は無人駅。駅舎内に写真が張られている

ただ比婆山に登ろうとすると、熊野神社のずっと先。比婆山を目指す人が、駅名変更以降、当駅でどれぐらい降りたのかは分からないが「比婆山観光のために降りてみたら、とてつもなく遠かった」という苦情に触れたことは少なくとも私はない。現在、比婆山へのアクセス拠点でないことは確かだ。ちなみにナゾの動物、ヒバゴン(※)の相次ぐ目撃騒動が起きたのは、駅名が変わった10年以上後のことである。

しかし駅名変更は貴重なものをもたらした。駅舎に掲げられた駅名板をよく見ると、時刻表を流用したことがよく分かる。現駅名になったのは1956年。鉄道の全盛期を迎えようとしているころだ。「山陽線」の他に「二等」「三等」「電車」などの今はあり得ない文字がうっすら見える。九州各地にも乗り換えなしで行けたようだ。岡山駅のものらしいが、これは大変価値あるものだと思う。当駅では約50分過ごすことになったが、いろいろなものを見落とさずに済んだ。(写真7~9)

〈7〉駅名板は昔の時刻表が利用されていて貴重なものとなっている
〈7〉駅名板は昔の時刻表が利用されていて貴重なものとなっている
〈8〉ホーム側から見た駅舎。こいのぼりがなびいていた。「国定公園 比婆山」の木製看板も見える
〈8〉ホーム側から見た駅舎。こいのぼりがなびいていた。「国定公園 比婆山」の木製看板も見える
〈9〉かつては2面のホームだったようだが、現在は棒状となっている
〈9〉かつては2面のホームだったようだが、現在は棒状となっている

駅前には商店が一軒あり、以前はこちらで簡易委託を行っていたらしい。駅前の庭園には駅の開設時の石碑が残る。そういえば、こちらの桜はまだ咲き切ってはいない。お隣の備後西城で満開の桜を見たばかりなので、たった数キロでの桜前線を感じてしまった。


◆比婆山17時30分→備後庄原18時3分

本日宿泊の備後庄原へ。言うまでもなく庄原市の中心駅。当駅始発の三次行きも設定されている。前回、芸備線に乗りに来てから、約1カ月が経過しているが日が長くなっているのを感じる。夜の6時だというのに、まだまだ明るい。大阪より、ずっと西にあるというのもあるのだろうけど。

高校生が多い。比婆山から乗車したのは私ひとりだったが、備後西城からかなりの生徒さんが乗ってきたが、私が降りた列車はここで交換するようで、乗る人、降りる人でホームはにぎわっていた。広島カープ関連のオブジェが目立って説明文も構内に張られている。しかし私が驚いたのは駅及び駅前の姿だ。訪れたのは十数年ぶりなのだが、すっかり変わっている。駅舎が改装され、駅前がバスターミナルになっている。少し離れたところにあったものが駅前に来て利便性が増したそうだ。(写真10~12)

〈10〉備後庄原駅は改装されていた
〈10〉備後庄原駅は改装されていた
〈11〉ホームのカープモニュメント
〈11〉ホームのカープモニュメント
〈12〉ホームに張られていた庄原市とカープの説明
〈12〉ホームに張られていた庄原市とカープの説明

今日の予定はここまで。なんだかんだで結構回った。お好み焼きとビールで明日への英気を養うとしよう。【高木茂久】(写真13、14)

〈13〉国鉄風の駅名標
〈13〉国鉄風の駅名標
〈14〉お好み焼きで英気を養う
〈14〉お好み焼きで英気を養う

※ヒバゴンが最初に“目撃された”のは1970年7月。軽トラックを運転する男性が林に消えるナゾの動物はゴリラのようだったという。その後も付近で目撃情報が相次ぎ、全国からマスコミが押し寄せる騒ぎになり、メディアがこぞって取り上げた。ただ同年10月を最後に目撃例はなくなり、翌年に西城町(当時)が「終息宣言」を出した。ただその後は地域のキャラクターのような存在となり、2005年には「ヒナゴン」として映画化。芸備線沿線でロケも行われた。