韓国との国境の島、対馬を訪ねた。島の北端から49・5キロ先、海の向こうには釜山の街が見えた。日本と朝鮮との交流の歴史「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコの世界の記憶(世界記憶遺産)に登録されたのは昨年の10月31日と新しい。隣国への思いもはせながら、対馬の旅、そして帰りには壱岐も巡って2泊3日の旅になった。



羽田発は午前8時20分の飛行機。福岡空港経由で対馬へ。福岡から対馬への飛行時間は約40分。お昼の0時10分には対馬空港に降り立っていた。4時間弱で到着だから、「遠かったぁ~」という印象はない。

さて、国境の島は、国防と貿易の最前線の島でもあった。

その任を、古くは中世より背負ってきたのが「宗家」である。その宗家の活躍が特に顕著なのは秀吉の時代。ここから、ちょっと歴史のお勉強になる…。


島の夏のお祭りでは朝鮮通信使の模擬パレードが行われる
島の夏のお祭りでは朝鮮通信使の模擬パレードが行われる

秀吉の命で小西行長と宗義智は朝鮮出兵するが、秀吉の死後は家康により、今度は逆に朝鮮との国交修復に当たらされる。

しかし、手のひらを返したような外交を朝鮮もすぐには許してくれるはずもなく、それなら「家康の謝意を記した国書を持参せよ」と言ってくる。家康がこんな条件をのむわけもないと思った義智は独断で、幕府の国書を偽造して持参し、関係修復を成功させるのである…。

と、まぁ、こんな経緯だが、その間、そして、その後も隣国と対峙(たいじ)する島だけに対馬の苦労は絶えない…。と、そんな歴史があった。

対馬の城下町・厳原(いづはら)は朝鮮出兵に際し秀吉の命で造られた清水山城の跡が。さらに、一の丸、二の丸、三の丸の石垣も残り当時をしのばせる。

さらに、この義智の息子・義成が建てた菩提(ぼだい)寺「万松院」には宗氏代々の墓があり、日本3大墓所として知られ規模も風情も堂々たるものだ。一見の価値は十分にある。また建物の中には朝鮮から贈られた祭礼用の青銅製の三具足などが飾られてあった。


朝鮮の国王から贈られたといわれる三具足
朝鮮の国王から贈られたといわれる三具足

朝鮮通信使に話を戻そう。江戸時代、1607年から1811年の約200年の間に12回、使節団の来訪があり、交流があったと記録されている。

「日本からしたら、向こうが貢ぎ物を持ってくる。朝鮮からしたら、文化の高さを教えてやるという意識だったのかもしれません…。接待する方も、される方も大変な仕事だったに違いないと思います」と観光ガイドさんが話してくれた。

1回来れば、半年から1年かけて500人の大部隊が列島を江戸に向かって縦断するような大行列。日朝互いに莫大(ばくだい)なお金がかかった歴史でもある。


宗家の墓所へと続く石段
宗家の墓所へと続く石段

今、人口約3万1000人の島へ韓国からの観光客は年間約30万人を超える。その人数はさらに増加傾向だ。

釜山から高速船で1時間10分。日帰り客や免税店利用が目的の韓国のお客さんは多い。隣町に買い物に行く感覚で来ているという韓国人にも会った。

まさに通信使の時代からすれば隔世の感である。しかし、それもこれも交流という側面では共通なのかもしれない。

対馬観光物産協会の西護事務局長は言う。

「毎年、夏のお祭りのときは島をあげて模擬行列を再現する。島民スタッフ300人が行列に加わり、韓国からも舞踊団の参加があったりする。遺産登録で今年は盛り上がりがあるかもしれません。これを機会に島の文化や、両国の交流の歴史なんかにも関心を持ってもらえたらうれしいです」

さらに言葉を続けて「通信使の交流のあった200年は両国の間に戦争がなかったんです。その前は秀吉の出兵があり、その後は日韓併合の歴史がある。大事なのは交流があることだと思います。それが大切。戦争のない隣国同士として過ごせた200年。そういう意味でも記憶遺産としての価値があるのだと思いますよ」。

北朝鮮との緊張が続き、今また、韓国ともいろいろ…。こんな時期だから朝鮮通信使の歴史を振り返ってみる意義はあるのかもしれない。【馬場龍彦】


◆世界の記憶 後世に伝えなければいけない世界的に重要な記録遺産。ユネスコが1992年に創設した。「アンネの日記」、ベートーベンの第九の自筆楽譜、マグナ・カルタ、フランス人権宣言など約300件が登録されている。日本の登録は藤原道長の日記「御堂関白記」など7件。世界遺産との混同を避けるため、16年から「Memory of the World」を直訳した「世界の記憶」と呼ぶようになった。


「原の辻遺跡」と「猿岩」

対馬からの帰りに壱岐へ向かう。1時間のフェリー乗船である。

壱岐は、対馬が山の島なのに対し、平原の島である。お米も麦も豊かである。

そして、こちらは弥生時代など古代史に焦点が当てられて紹介されることが多い島。その代表的なのが「原の辻遺跡」である。

静岡県の登呂遺跡、佐賀県の吉野ケ里遺跡に並ぶ日本3大弥生遺跡として国の特別史跡にもなっている。

当時の住居跡が緑の原っぱに復元され公園として自由に散策できる。

また、その原っぱを見下ろすように立つ「一支国(いきこく)博物館」はぜひ訪れたい場所。

館内の映像では、島に大陸から人がやってきた様子や、ジオラマで弥生時代の生活が忠実に再現されている。楽しみながら島の歴史や日本史を学べる博物館になっている。


壱岐の観光シンボル的な猿岩
壱岐の観光シンボル的な猿岩

もうひとつ、外せない観光スポットとして挙げたいのが島内一の有名な岩、「猿岩」である。

高さ45メートルと巨大な猿に似た岩。玄武岩が海食されて自然にできたものだが、何しろ大きいので人気。そして「かわいい!」のである。


「石焼き」と絶品アナゴ料理

対馬では「石焼き料理」と呼ばれる郷土料理をいただいた。石英斑岩という石を熱して、その上でじかに魚介類を次々に焼いて食べる。石から出る遠赤外線が食材をふっくらと焼き上げる。見た目も豪快な料理だが、良い石が少なくなって、今、貴重な郷土料理になりつつあるとか。


対馬の伝統料理「石焼き」
対馬の伝統料理「石焼き」

もうひとつ対馬のグルメは「アナゴ料理」。島の沖合は全国屈指のアナゴの好漁場。今回の旅では「あなご亭」でいただいたが、肉厚、歯応え、そして味と、一言でいえば絶品だった。

続いて壱岐-。壱岐はウニがうまい。壱岐には海女さんが100人もいる。それだけウニがとれる証明でもある。このウニを炊きたてのごはんにのせてたべた「ウニぼっかけ」はうまい。ぜいたくな絶品をぜひ、この地を訪ねて、ご賞味あれ。