前島正晃会長(左)を相手にドラムミットで練習する木村蓮太朗(2020年6月12日撮影)
前島正晃会長(左)を相手にドラムミットで練習する木村蓮太朗(2020年6月12日撮影)

国内ボクシングも再開された。東京・後楽園ホールでの無観客だった2興行は同僚が取材し、いずれも録画放送で見た。関係者らは遠巻きに座っていた。リングに入れるのは、選手2人、チーフセコンド2人、レフェリーの5人だけ。1人はマスク越しに久々に見る顔だった。

22日の2試合目で東洋大主将だった木村蓮太朗(23)が、2回TKOでプロデビューを飾った。セコンドについたのが高橋智明トレーナー(43)。20年勤めたワタナベジムを昨年12月で退職し、今年から静岡・富士市の駿河男児ジムに移った。

岩手・水沢農時代にインターハイ2位で東農大に進んだ。3年で病気のため現役を断念。マネジャーとなってトレーナーを目指していると、ワタナベジムの募集広告を見つけて応募して採用された。

WBA世界スーパーフライ級王者河野公平(左)と高橋智明トレーナー(2015年10月10日撮影)
WBA世界スーパーフライ級王者河野公平(左)と高橋智明トレーナー(2015年10月10日撮影)

その99年から入門したての河野公平を教えてきた。未経験で「何もない選手だった」が、12年に3度目の挑戦で世界王者になった。初防衛失敗も14年には王座に返り咲き、亀田興毅らに3度防衛。その後も井上尚弥に挑戦し、18年の引退まで二人三脚で歩んだ。

10年に内山高志がジム初の世界王者となった。世界戦を控え、当時のチーフトレーナーが急に退職した。スタッフらジム一丸で内山を支えたが、チーフを務めたのが高橋トレーナーだった。

内山が連続KO防衛も果たすと、トレーナーを表彰するエディ・タウンゼント賞をチーム内山で受賞した。河野を育てたことで15年にも受賞。90年に始まった同賞では、最後に唯一の2度受賞者となった。

ワタナベジム渡辺均会長(前列左から2人目)、内山高志(同3人目)らチーム内山。前列左端が高橋智明トレーナー(2010年1月9日撮影)
ワタナベジム渡辺均会長(前列左から2人目)、内山高志(同3人目)らチーム内山。前列左端が高橋智明トレーナー(2010年1月9日撮影)

そんな姿がドキュメントでテレビ放送され、駿河男児ジム前島正晃会長(41)が見ていた。10年にジムを開いてまもなくで「選手への思い入れに感動」。面識はなかったが、試合会場にも出向いて誘い続けた。

高橋トレーナーの家族は夫人の実家がある御殿場市に住む。単身赴任で週末帰宅生活に、いずれは静岡で家族と生活するつもりだった。願ってもない話だが、選手第一に踏ん切りがつかなかった。河野引退後も船井龍一にチャンスがあった。昨年5月に米国で挑戦も敗れたことで、ようやく決断できた。

木村は静岡・飛龍高出身で、東洋大で3冠を獲得、主将として初の大学日本一にも導いた。ケガで東京オリンピック(五輪)国内予選に出られず。大手ジムからの誘いもあったが「静岡から初の世界王者に」と地元ジムを選んだ。

高橋トレーナーは日中は富士市内で木材加工会社に勤めている。会長からは専任でと誘われたが、大学と高校受験を控えた息子が2人いるため、「稼がないと」と笑う。

ワタナベジムは国内最多の選手がいる。木村陣営の悩みはスパーリングパートナー。そのためデビュー前は都内のジムでスパーを積み、高橋トレーナーも休日には上京して同行した。古巣のジムにも出稽古した。

河野と船井はたたき上げだった。木村はアマエリートに「一言言えば理解できる。内山のようにボクシングIQが高い。楽です」と話す。9月には地元での主催興行で2戦目に臨み、年内にもう1試合を希望する。「もう一花咲かせたい」。高橋トレーナーも新天地で3人目の世界王者育成を目指す。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロ転向会見を行った木村蓮太朗(中央)。左は前島正晃会長、右が高橋智明トレーナー(2020年3月5日撮影)
プロ転向会見を行った木村蓮太朗(中央)。左は前島正晃会長、右が高橋智明トレーナー(2020年3月5日撮影)