「イチバーン!!」の雄たけびで日本マットも席巻した人気米国人プロレスラーのハルク・ホーガンさん(本名テリー・ボレア)が24日午前11時17分、米フロリダ州の病院で死去した。死因は心臓停止で、71歳だった。5月に頸椎(けいつい)固定手術を受けた後、合併症で容体が重篤と伝えられていた。80年代、新日本プロレスに参戦してアントニオ猪木を失神させるなど外国人エースとして活躍。名勝負を繰り広げた。米マットでもWWF(現WWE)やWCWで大活躍し、プロレス業界の拡大に大きく貢献した存在が、逝った。
◇ ◇ ◇
「超人」が、この世を去った。世界のプロレス界に多大な影響をもたらしたホーガンさんは24日朝、米フロリダ州クリアウオーターの自宅で心臓発作を起こした。午前10時ごろ到着した救急隊員による心肺蘇生の治療を30分間受けたが、心停止。近隣の病院に救急搬送されたものの、午前11時17分、心臓停止による死亡が確認された。5月に頸椎(けいつい)固定手術を受けた後、合併症に苦しんでいた。周辺は否定を続けていたが、1カ月前から容体は重篤と報道されていた。
80年代から、必殺技アックスボンバーを武器に日本のプロレスファンを魅了した。人さし指を高く突き上げ「イチバーン!!」と雄たけびを上げ「一番」Tシャツも着用。82年には映画「ロッキー3」にも出演し、世間的な認知度も上げてファンを増やした。「不沈艦」スタン・ハンセンの全日本プロレス移籍後、新日本プロレスの絶対的な外国人エースの地位を確立した。
83年にはIWGP決勝リーグ戦に米国代表として出場。同6月の東京・蔵前国技館での優勝戦では、優勝候補のアントニオ猪木を「舌出し」失神KOに追い込んだ。米マットでも84年1月にWWF(現WWE)ヘビー級王座を初戴冠。熱狂的なファンは「ハルカマニア」と呼ばれた。85年には初開催された祭典「レッスルマニア」の大黒柱として活躍。87年のレッスルマニア3大会では9万人以上の観衆の前で「人間山脈」アンドレ・ザ・ジャイアントと対決した。
ホーガンさんの登場で米プロレス界は数十億ドルの巨大スポーツへと変貌したと言われている。Tシャツを引き裂き、筋肉質の体を誇示する漫画のようなカリスマ性と巧みなパフォーマンスで、世界中のファンに愛された不世出の「超人」だった。
◆ハルク・ホーガン(本名テリー・ボレア)1953年8月11日、米フロリダ州タンパ生まれ。77年にマスクマンでデビュー。79年12月にWWF(現WWE)と契約し、人気テレビ番組「超人ハルク」にちなみ現リングネームに変更。80年5月に新日本で初来日。83年の第1回IWGP決勝リーグ戦で優勝。84年1月にWWF王座獲得(計6度獲得)。94年にWWFの対抗団体WCW移籍。96年にnWoを結成し、古巣から人気を奪い世界的ブームに。02年以降はWWE復帰&退団を繰り返す。05年にWWE殿堂入り。現役時のサイズは201センチ、120キロ。

