立行司が差し違えた時の「進退伺(しんたいうかがい)」とは、どういう手続きなのか。関係者の話をもとに昔と今の実情を紹介する。
立行司の責任は重い。最高位の木村庄之助は、結びの一番のみを合わせる。式守伊之助は2番だけ。2人の立行司だけは、懐に短刀をしのばせる。差し違えたら切腹する覚悟があることを示している。
本場所で差し違えた時は、理事長のもとへ進退伺に出向く。その際、当該の立行司だけでなく、幕内後半戦の審判長と、「監督」を務める行司が同行する。「監督」とは、若手行司の指導役で現在は木村寿之介、木村元基、木村要之助の3人が担当。3人のうち1人は、結びの一番が終わるまで万が一に備えて待機する。
名古屋場所4日目には、43代伊之助が差し違えた。八角理事長(元横綱北勝海)のもとへ、伊之助と九重審判長(元大関千代大海)と監督の幕内格行司・木村元基が同行した。
3人が理事室に入ると、ほとんどの場合は言葉をかわさず、理事長から「残りも気をつけて頑張ってください」と激励されて終わる。進退伺を文書で提出することもなければ、口頭で進退伺を申し出ることもない。あるとすれば、審判長から「○○-●●について、ご報告にうかがいました」と切り出す程度だという。あくまで「進退伺」は形式的なもの。「進退伺」というよりは、現状は「経過報告」になっている。
ただし、1場所に複数回の差し違いがあったり、明らかなミスが続いた場合は、数日間の出場停止を科されるケースもある。
昔は、「進退伺」を文書で提出していた。行司のOBによれば、春日野親方(元横綱栃錦)や二子山親方(元横綱初代若乃花)が理事長を務めていたころ(1974年2月~1992年1月)は、文書で「進退伺」を提出。もちろん受理はされず「見る位置が悪かったな」とか「今日のはしょうがないな」などと言われて終わったという。境川理事長(元横綱佐田の山)のころ(1992年2月~1998年1月)から、文書でなく口頭でのやりとりに変わっていった。
現在はほぼ「経過報告」になっているものの、昔からの名残として今も「進退伺」と認識され、立行司が差し違えると理事長のもとへ出向く。それだけ立行司の立場が尊重されていることの表れでもある。【佐々木一郎】

