大会も終わり、オフシーズンに入ったチームも多いのではないでしょうか。体の管理やトレーニングもあるでしょうが、野球好きの選手たちには、ぜひ野球の歴史にも興味を持ってほしいです。

今年2022年は日本に野球が伝来して150周年の記念イヤーでした。イベントなども開かれていたので、小中学生のジュニア選手たちも見聞きしていたでしょう。しかし、詳しくは分かっていないかもしれません。簡単に説明しますね。

日本への野球伝来は、いくつかの説があります。今年が150周年というのは、その中の1つ、いわゆる「明治5年説」を採用したものです。

1872年(明5)、外国人教師のアメリカ人、ホーレス・ウィルソンが、第一大学区第一番中学で英語や数学を教えるかたわらで、野球を教えたとされています。

同中学は翌年に開成学校になり、今の東京大学につながります。グラウンドがあったのは、現在は学士会館が建っている東京都千代田区神田錦町です。同地には、2015年(平27)にウィルソンが野球殿堂入りした後に「日本野球発祥の地」と書かれた碑が建立されました。道沿いから見学できますので、近くに行った際は立ち寄ってみてください。

なお、この1872年がどんな年だったかというと、新橋―横浜に日本初の鉄道が走り、全国で郵便が施行され、学生が発布され、太陰暦を廃止して太陽暦が採用された年です。明治時代とはいえ、まだ侍が統治していた江戸時代の雰囲気を残す時代でした。

ちなみに、3年前の2019年(令元)にアメリカ人作家ビル・スティーブルズ・ジュニア氏がアメリカ野球学会総会で発表したところによれば、この1972年に日本人チームがアメリカで野球の試合をしていたといいます。

「ロイヤル江戸劇団」という軽業師の一団で、この年の6月7日にワシントンで地元球団と対戦していることが、19世紀に発行されていたナショナル・リパブリカン紙という新聞に載っていたそうです。5イニングの試合経過によると、日本は17―18と健闘しています。この発表を報じる新聞にはメンバーの写真も載っていましたが、写っている13人は全員が着物姿でした。

今から150年前が、日本の野球にとって大きな転機であることは間違いなさそうですね。

3年後の1876年(明9)12月23日付のニューヨーククリッパー紙には、開成学校の外国人教師と日本人学生が試合をし、34―11で外国人教師チームが勝利したと記録が残っています。

1878年(明11)には、アメリカから帰国した平岡熙が、日本初の野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成し、現在の汐留シティセンター前にある旧新橋停車場の広場で練習をしていました。

 平岡は日本で初めてカーブを投げた人物としても有名です。彼の人生を描いた「ベースボールと陸蒸気」(鈴木康允、酒井堅次=小学館文庫)には、平岡が試合でカーブを投げた時のやりとりが書かれています。

「しかし、アメリカはキリシタンの国だから、切支丹伴天連式(きりしたん・ばてれんしき)の魔法を使うのもいいでしょうが、日本でその魔法を使うのは卑怯です」

「いや、カーブこそ野球の奥義をきわめた者にできる投げ方で、剣術の奥義をきわめた者が『天狗飛び切りの術』を使うようなものだ。高度な技術が要求されるカーブこそ、野球を進歩させるものなんだ」

今や変化球はカーブだけでなく、シュート、スライダー、フォークボール、シンカー、チェンジアップ…多種多様になっています。これから先はどんなボールが生まれるでしょうか。

さて、グラウンドに話を戻すと、新橋が手狭になって、平岡たちが移ったのは八ツ山下…現在の京浜急行「北品川駅」に近い、現在の都営バス車庫がある付近で、日本初の本格的な野球グラウンドといわれています。

なお、八ツ山下は、1954年(昭29)年に公開された初代の映画「ゴジラ」で、ゴジラが最初に上陸した地でもあります。2016年(平28)に公開された「シン・ゴジラ」でもこの地が出てきました。

ゴジラの愛称を持つ松井秀喜さんの担当をしていた私としては、野球とゴジラのつながりを感じる貴重な場面です。

150年かけて、野球は発展してきました。そして、これから150年後に野球をどうつないでいくか、それは今を生きる私たちにとって大切な役割ですね。さらに多くの人が愛し、楽しむ競技であってほしいと願います。【飯島智則】