ドラマ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰(くらもと・そう、本名山谷馨=やまや・かおる)さんが18日、多臓器不全のため、北海道・富良野市の自宅で死去した。91歳。倉本財団が28日、公式サイトで発表した。
葬儀は近親者で執り行われた。晩年も、老後の人生を描いたテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」など創作意欲は衰えなかった。
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倉本さんの取材で富良野には何回も通った。そして、倉本さんが私財を投じて84年に立ち上げた「富良野塾」の公演もよく見ていた。同塾は脚本家と俳優の育成を目的にし、2年間の在学中の授業料、生活費は無料だった。
ただ、塾生の生活の一部をのぞいた時に、そのハードさに驚いた。全員、寮生活で、生活の場となる3棟の丸太小屋は塾生たちの手作りだった。毎朝6時に起床し、7時には農作業に出かける。苗植えに雑草取り、そして収穫など夕方まで汗水流して働いた。夕食後に倉本さんの講義、演技指導が行われた。1人がテキストに沿って演技をし、倉本さんは厳しくダメ出しをする。夜遅くまで続いた。
電気・ガス・水道に頼らず、冬の暖房は自ら切った木を燃やす薪ストーブだった。ある時は食事前に一羽の鶏をそれぞれに与えられ、それを自らしめて、さばいて料理した。休日は2カ月に1日あるくらいで、倉本さんの代表作「北の国から」さながらの厳しい生活だった。
最後に見た富良野塾公演は、倉本さん作・演出の「走る」。塾生たちの人生をマラソンに託した作品で、出演者は2時間の上演中ひたすら走り続ける。塾生たちを体力の限界まで追い詰める舞台だったけれど、終演後、ヘトヘトになりながら泣き出す出演者が続出した。10年に閉塾した塾の卒業生は375人。有名な俳優はいないけれど、彼らには強い絆があった。そのど真ん中にいた倉本さんは厳しさの中に、深い愛があった人だった。【林尚之】



