新元号決定から一夜明けた2日、福岡県太宰府市の大宰府政庁跡で、730年(天平2)に歌人の大伴旅人が「令和」の典拠となった万葉集の「梅花の歌」を詠んだ「梅花の宴」が再現された。
また旅人が宴を開いた邸宅跡とされる坂本八幡宮には参拝客が大挙し、周辺は大渋滞するなどフィーバーが続いた。
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大宰府政庁跡に「梅花の宴」当時の服装を再現した衣装を身にまとった大宰府万葉会のメンバーら有志12人が集まった。松尾セイ子代表(80)が「私たちのお祝いの日です」と口にすると、「令和」の元となった序文「初春の令月にして気淑よく風和らぎ」をはじめ、数首を全員で詠んだ。
長崎県出身の松尾さんは、高校の数学教師だった夫久さん(86)の転勤で65年に太宰府市に転居した際、夫の強い勧めで万葉集に触れた。97年には歴史、文学を学ぶ講座をきっかけに発足した「大宰府万葉会」立ち上げに関わり、勉強会を月1回、催してきた。
毎年2月には「梅花の宴」を再現する行事も開催した。当時の衣装を着て万葉集の歌を詠むもので、衣装は服飾を学んだ松尾さんが奈良時代の文献を参考にデザインし制作。97年の第1回は紙だったが、会の役員が月500円ずつ出し合い、積み立てた資金で布の衣装を100着作った。
96年からは万葉集の歌碑建立を市に要請し、05年に歌碑3基、06年には歌碑2基と歌碑の説明板1基を建立。07年以降は市から歌碑は必要ないと言われたが、松尾さんは歌碑巡りのガイドで稼いだ1回300円(後に500円)の料金を積み立てて5年に1度、歌碑の建立を続け、市内に11基の歌碑ができた。
今年も23回目の「梅花の宴」を2月9日に開いたばかりだったが、あえて再現したのには理由があった。「1300年前の『梅花の宴』からいただいた宝物として、ほそぼそと語り継いできた。でも私の人生にも限りがあるし、我々の歌碑の建立は無理。次の世代に伝えるため、市にもっと協力して欲しい」と訴えた。
松尾さんは、市内の小中学生をはじめ市民に絵を描いてもらった万葉かるた、すごろくも制作し一部で販売している。新元号についても「子供に字を書いてもらい、かるたではない、もっと大きな何かを残したい」と語った。【村上幸将】

