東日本大震災の恐怖が10年の節目を目前に再現された。13日午後11時7分ごろ、宮城県南部、福島県の中通りと浜通りで震度6強の地震が発生した。気象庁では2011年3月11日の東日本大震災の余震としている。11年の巨大津波にのみ込まれながら、九死に一生を得た岩手県釜石市の老舗旅館の女将(おかみ)の岩崎昭子さん(64)は、大津波再来の悪夢に見舞われたが、あの日と同じように奔走した。
巨大地震、巨大津波の悪夢が、よみがえった。市内根浜(ねばま)の海岸沿いにある老舗旅館「宝来館」の女将の岩崎さんは13日深夜の地震発生直後、現在の自宅である高台の公営住宅から車に飛び乗った。大きな揺れで「津波が来る」と直感した。ハンドルを握り、下り坂を運転すると「(地震で)車がバウンドしていた。久しぶりの感覚だった。これは確実に津波だと思った」。
自宅から旅館に到着するまで「1分ちょっとは揺れ続けていた」。極度の緊張と緊迫感も途切れない。4組7人の宿泊者の安否を確認し、館内も損傷などなかった。まもなくテレビのニュースで「津波の心配はありません」と放送されても「午前3時までに体感できる余震が2回あった。いつでも高台に避難させられるように車の中で待機していた」(岩崎さん)。10年前の経験がそうさせた。
10年前、岩崎さんは九死に一生を得た。津波で旅館を2階までさらわれた。宿泊者らを旅館の裏山の避難路に誘導したところで岩崎さんは津波にのみ込まれた。「流されながら青い空が見えた。このまま死ぬんだ」と覚悟した瞬間、同様に流れされていた女性従業員に腕を引かれ、海に浮かんだマイクロバスの屋根に乗って生きのびた。旅館があった地区の死者・行方不明者は583人、宝来館の従業員3人も犠牲になった。「地震の始まりの揺れは同じくらいの大きさだった。10年目になって、前回の余震。気を緩めずに生きてなけゃ、なんねえ」。
岩崎さんらが中心となって復興プロジェクト「釜石ワールドスポーツワイナリー」をスタートさせた。ラグビーワールドカップの舞台となった釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムの敷地内に苗木を植え、昨年にはワインの第1号も完成させ、将来の地場産業を目指す。そんな夢も、のみ込まれそうになる「余震」だった。
コロナ禍で旅館の売り上げは激減している。「昨年の1割ぐらいに減った。今は緊急事態宣言の延長で例年の2割以下」と、ため息もまじる。それでも、夢はあきらめない。
余震から一夜明けた14日午後、岩崎さんは「スポーツで勇気をもらった」と声を弾ませた。釜石市民体育館で開催されたプロバスケットボールBリーグ3部(B3)の岩手-岐阜戦に声援を送った。余震は続くが、「しょうがないですよ」と笑い、地元の方言で「生きっぺし(生き抜く)」と、前を向いた。【大上悟】
◆東日本大震災 2011年(平23)3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9・0の地震が発生。最大震度は宮城県栗原市の震度7を観測した。岩手、宮城、福島の3県を中心に沿岸部は大津波に襲われ、昨年12月現在の死者は全国で1万5899人。行方不明者は2527人に上る。同日、東京電力福島第一原発の事故が発生。避難者は一時16万人以上に上った。

