【俺たちの青学大〈6〉】突然の病にも負けない 次世代エースが走りと行動で勇気
来年1月に箱根駅伝4連覇を目指す青学大。前回、花の2区で箱根デビューを飾った飯田翔大(3年)は1区16位から逆転優勝への反撃ののろしを上げた火付け役です。昨年には突如、発症した病も公表。競技以外での苦難にも向き合わなければいけない中、原晋監督(59)からの前向きな言葉も力に変えて「次世代エース」として4年生たちを支えようと奮闘しています。
陸上
◆飯田翔大(いいだ・かいと)2005年(平17)6月12日、熊本県生まれ。18年箱根駅伝4連覇を達成した青学大にあこがれて陸上を始める。苓北中から鹿児島・出水中央高に進み、3年時に男子5000メートルで当時日本高校歴代4位のタイムをマーク。青学大2年時に出雲駅伝3区で3大駅伝デビューし、全日本大学駅伝6区区間賞。箱根駅伝では花の2区を走った。オフは寮でのゲーム。174センチ、59キロ。
エースの自覚 春の5000メートル最後は自制
3年生ながらすでにエースの自覚が芽生えている。
春先の右アキレス腱(けん)の故障から復帰したばかりという飯田は、4月のトラックレースから徐々に感覚を取り戻している。
同月に入って、2レース目となった26日の日体大記録会の世界ランキング対象レース「NCG」男子5000メートル。同じ組にはOBで箱根6区区間記録保持者の野村昭夢や18年の箱根4連覇メンバーの田村和希(ともに住友電工)、同期の折田壮太もいた。
「走る前には『3000まで引っ張るよ』と住電の昭夢さんから言われていた。そこをしっかりマークして、途中までずっと後ろを走っていたけど、最後の絞り出しができなかったのが悔しい」。
箱根の山下り6区で初の1時間6分台をマークした大先輩のリードを頼りに先頭集団でペースを刻んだ。
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神奈川県横浜市生まれ。2019年に大学卒業後、地方紙に入社。警察担当記者を経て翌20年から運動部に異動し、アマチュア野球やインターハイ、箱根駅伝100回大会など取材。
24年パリ五輪・パラリンピックでは地元選手を追ったものの、現地取材はかなわず…。しかし、オリンピック関連取材をきっかけに本格的にスポーツ記者を志し、翌25年春、日刊スポーツに転職。高校野球取材で西東京大会を担当後の8月からスポーツ部の一員となった。
サッカー日本代表の森保一監督にあいさつした際には「完全移籍選手」と命名された。趣味は料理と駅伝観戦。自宅で、ぬか床を育てるなど発酵食品が好き。
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