さる1月12日、井原鉄道では今年も「井原線感謝デー」が開催された。私自身、初めての参加だったが、あまりの盛況ぶりに驚くばかり。井原線沿線は一昨年の平成30年7月豪雨で甚大な被害を受けた。特に被害の大きかった倉敷市の真備地区では、その中心駅となる吉備真備駅の駅前でも多くの人が朝市を訪れていた。(1月12日以外の写真も一部含まれています)
井原鉄道は平成11年(199年)1月11日に開業した。時間も11時11分11秒と徹底的に「1並び」にこだわったスタートだった。以来、毎年11日に近い日曜日に年に1度の感謝デーが開催されている。今年は12日に行われた。
JR伯備線との接続駅(※)である清音に行くとホームは人であふれそうになっている(写真〈1〉)。平素は1両単行での運行がほとんどだが、この日は2両編成。ただし臨時列車も含めてギューギューである(写真〈2〉)。鉄道のデザインで知られる水戸岡鋭治さんによる「夢やすらぎ号」は、いつもは観光列車での出番が多いが、今日ばかりは通常運行で大活躍だ(写真〈3〉)。井原鉄道では主に土日祝日を対象に1日乗り放題のスーパーホリデーパスを発行しているが、感謝デーではワンコイン(500円)。その他、主要駅ではスタンプラリーや出店が並んで、いずれも魅力的。多くの人が訪れるのは当然だが、それにしても人出がすごい。
主要駅で最初に到着するのは吉備真備(写真〈4〉〈5〉)。現在は倉敷市だが、元は真備町で奈良時代の政治家、吉備真備の出身地だったことにちなむ。井原鉄道で駅を設置する際は、真備駅ではなく吉備真備駅となった。
真備地区は豪雨で特に被害が大きかったところ。今、復興に向けて歩んでいる最中。駅でバッグをもらった。名産であるタケノコが描かれている(写真〈6〉)。朝市会場は大にぎわい(写真〈7〉)。ちなみにひとつ手前の駅である川辺宿は作家の横溝正史が戦時中に疎開していた場所で駅名標には金田一耕助が描かれている。
前回紹介した矢掛(写真〈8〉)を経て井原へ(写真〈9〉)。こちらも駅前は出店がズラリ(写真〈10〉〈11〉)。おなかがすいた。いろいろ食べたいものはあったが、やみつき焼き鳥をいただいた。井原の名物といえばゴボウらしい。「明治ごんぼう」と呼ばれる。この日は混雑でありつけなかったが、後日訪問した際にごんぼううどんと対面(写真〈12〉)。寒さが吹っ飛んだ。
さて、最後は感謝デーでも静かな駅を訪れてみよう。最も行きたかった駅でもある。井原からひとつ清音寄りの「早雲の里荏原駅」である。駅名にひかれる(写真〈13〉)。早雲とは戦国大名の北条早雲。吉備真備とともに英雄が駅名となっている。北条早雲といえば小田原城で有名だが、ナゾとされていた出身地が最近の研究で、この地が有力となっているといい、駅名にも北条早雲が冠せられた。
感謝デーのにぎわいがウソのように静まりかえった2面3線のホーム。実は井原鉄道の本社はこちらにある。そして車庫も。感謝デー当日も一部の列車の始発駅となっており、出発をのんびり待つ空席だらけの列車を、多くの人が乗車した列車が「お先に」していた(写真〈14〉〈15〉)。
前回紹介した井原鉄道の「基礎」ともなった井笠鉄道の記念館まで足を伸ばしたかったが、今回はここまで。間もなく列車がやって来た。宿題があった方がまた来るモチベーションになる。約40キロの路線だが、なかなか奥が深い。満員列車の隙間に「すいませ~ん」と言いながら身体を入れた。【高木茂久】
※井原鉄道の起点は総社、終点は神辺だが、いずれも伯備線との接続駅となる総社~清音は伯備線との供用区間となっていてJRの線路を走る。もともと国鉄井原線が総社を起点に計画されたことのなごり。ただ同じ線路を走りながらJRの切符では井原鉄道には乗れず、井原鉄道の切符ではJRに乗れない。また神辺駅からJR福塩線に入り、福山まで直通運転する列車も1日3往復設定されている。