東京五輪・パラリンピック300回連載

アテネ五輪名実況から16年 刈屋富士雄さんの思い

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」。多くの人の記憶に残る、あの夏から16年が過ぎた。当時、名実況を届けた元アナウンサーの刈屋富士雄さん(60)は、4月末でNHKを退局。東京オリンピック(五輪)が延期になった今、何を思うのか。五輪の素晴らしさ、開催の意義について聞いた。【取材・構成=佐々木一郎】

アテネ五輪体操団体の実況を色紙にしたため笑顔を見せる元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(撮影・河野匠)
アテネ五輪体操団体の実況を色紙にしたため笑顔を見せる元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(撮影・河野匠)

■講演の鉄板ネタ

-04年アテネ五輪体操団体総合。最後の演技者は冨田だった。刈屋アナの実況と同時に、鉄棒からの着地が決まった。日本の金メダルが確定した。あの名実況は、今も多くの人が忘れない。刈屋さんの代名詞にもなった。当時のことは何度も聞かれ、講演では鉄板ネタになっている

あの場面のことを聞いただけで皆さん満足して帰られるくらい(笑い)。それだけ皆さん興味を持っているし、驚くのはかなり若い世代まで知っていることです。リアルタイムでは絶対に見ていないだろうなという年齢の子がなぜか知っています。

■言葉選択は肌で

-アスリートの応援ソングは、ゆずの「栄光の架橋」。事前に言葉を準備していたと誤解されることが多いとか

あれは、準備して言えるものではありません。言葉の選択とタイミングは、(視聴者に)伝わるかどうかの最大のポイントになります。言葉の選択は、その場にいないと肌で感じられません。それまで12年の体操取材の経験があって、いろんな関係者の思いを聞いていました。ただ1つだけ、アトランタ五輪で惨敗して、旧ソ連のコーチから「体操ニッポンの日は沈んだ。2度と昇ってこない」と言われた。アトランタから8年、金メダルをしゃべるときは「日はまた昇りました」と言おうとそれだけは決めていました。

■格闘技?女子バレー

-刈屋さんの五輪金メダル実況は、体操団体と06年トリノ五輪のフィギュアスケート荒川静香。これ以外で、五輪の素晴らしさを感じた場面は

いくつもありますが、僕はボート部だったので、アトランタ五輪でボートの実況をやりました。ボートは欧米ですごい人気がある。エイトで勝つのはステータスなんです。オランダはそれを目指して、男子のエイトで初めて金メダルをとった。その瞬間、オレンジのオランダの応援団200人くらいが全員(川に)飛び込んだ。選手のところまで泳いでいって、最初にたどりついて顔を上げたのが金髪の女性。国際映像でアップになって、選手と抱き合った。恋人なんでしょうね。すごくいいシーンだった。

もう1つは、女子バレーボール準決勝のキューバ対ブラジル。世界の2大勢力でした。国は違うけど、お互いの言葉が結構分かる。僕は中継したんだけど、ああいうバレーボールは見たことがない。1発決めるごとに、相手をののしりあう。もう格闘技。第3セットくらいから、得点のたびにブロックに跳んだ相手の胸ぐらをつかんでいました。(警告の)カードが次から次に出てくる。命懸けでスパイクを打つし、命懸けでそれを止めにくる。それぞれの国の人がどれだけの思いで打ち込んでいるのか。あまり日本で見たことがない光景でした。

夏季五輪の思いを語った元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(撮影・河野匠)
夏季五輪の思いを語った元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(撮影・河野匠)

■実況夢見て入局

-五輪実況を担当するきっかけは

僕はNHKのアナウンサーになったのは、五輪の実況をしてみたいから。1968年メキシコ五輪の陸上男子200メートルで、スミスが金メダル、カーロスが銅メダルを取った。2人は表彰式で黒い手袋をつけた拳を上げ、人種差別に抗議した。あれがすごい衝撃的で。五輪は勝った負けたの勝負だけでなくて、時代が見えるし、世界が見えるし、人間の本質が見える。それでNHKのアナウンサーになった最大の動機は、五輪の中継をしたいという思いでした。入局2年目くらいに、(先輩アナウンサーの)西田善夫さんに「君は五輪は4年に1回必ずめぐってくるものだと思ってる?」と聞かれたので「はい、思っています」と言ったら「そうだよな。日本人くらいじゃないかな世界で、4年ごとに確実に五輪がくるもんだと何の疑いもなく思っているのは」と。「五輪っていうのは世界の国が4年に1回みんなで集まろうという意思がなければ、すぐなくなっちゃうんだよ。米国やソ連、中国がやめた、集まる気がないと言ったらもうなくなるんだよ」と言われてすごいショックでした。今回もまさにそう。西田さんは1976年モントリオール五輪の閉会式で「4年後も五輪が開かれるような平和な世界でありますように」とコメントして締めた。そうしたら視聴者から「いきなり大げさなことを言うな」とか局内の上の人から「何をいきなり世界平和を語るんだ」と批判された。でも4年後のモスクワ五輪を、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するかたちで西側諸国や日本がボイコットした。西田さんの言うとおりなんです。

■ぜひ生で見て!

-東京五輪の1年延期についてどう思うか。中止論もある

来年、絶対にやるべきだと思う。極端なことを言えば、参加できる国と地域だけでもいいから、コンパクトにやるべきだと思う。五輪は何のためにやるかというと、一番大きな理由は未来のため。五輪は若者のためにやる。子どもや若い人に見てほしい。五輪のメダルを争う空気はそこしかない、どこにもない。アテネの金メダルが決まるあの空気、100メートル決勝のあの空気、あれはトップアスリートや観客の気だけでなく、世界の人たちの視線が集まっているからなんです。それを日本のより多くの人に体感してほしい。これはスタンドで見ていないと分からない。五輪でないと分からない。日本人がどの種目でもいいから見てほしいんです、生で。

93年5月、Jリーグが開幕。V川崎-横浜M戦で両イレブンを激励する川淵三郎チェアマン
93年5月、Jリーグが開幕。V川崎-横浜M戦で両イレブンを激励する川淵三郎チェアマン

-観客席を満員にできないかもしれない。不完全でやることに意味はあるか

だとしてもやってほしい。できる限り観客を中に入れて、そのための工夫をして、どんな格好をしていてもいいから生で見てほしい。多くの日本人が生で五輪の選手たちの戦いを見ることが最大のレガシーだと思っています。その体験からいろんなインスピレーションを若い人が得て、日本の未来が変わるきっかけになると思う。1964年東京五輪の時のレガシーはいろいろあるけど、一番はJリーグだと思います。川淵さんの年代が20代で東京五輪を経験して夢を見たわけです。その夢が30年後にかなうわけです。これが、レガシーだと思います。今回どんな形でも生で見て、何かを感じた人たちが10年後20年後に何かをおこすかもしれないし、何かをつくるかもしれない。もう五輪の会場の雰囲気って一生に1回見られるかどうかです。不完全だったとしても、アスリートは不完全ではない。アスリートはちゃんと仕上げてくるから、そのスピード感とか、躍動感とかエネルギーとかを肌で感じてほしい。それ以外のものは、すべて捨ててもかまわない。開会式、閉会式はやらなくてもいい。聖火だけやってくれればいい。リモートでもいい。聖火ランナーだけが競技場に入ってきて始めてもいいんじゃないかな。

■聖火点火ゴジラ

-聖火の最終点火者は誰がいいか

今の段階では羽生結弦選手だと思っています。五輪の1つのテーマは東日本大震災からの復興。彼は被災者です。練習場を転々として苦労し、それを乗り越えて金を取った。その後、新しい流れに順応し、4回転時代の中、大けがをしたけど、乗り越えて金メダルを取った。世界の人も彼を知っている。一番ふさわしいと思う。もっと前、五輪開催が決まってからずっと言ってきたのはゴジラ。ゴジラは水爆の実験によって生まれた。反核の誓いを世界にアピールするためにゴジラが出てきて、火をぶわーっと噴いて聖火をつける。おもしろいと思うけどなあ。

-来年の夏は五輪にどうかかわる

まだ分からない。今の段階で、立川でパンアメリカンの所属している34の国と地域の事前キャンプを行う。そのお手伝いをいろいろして、コロナからどういう風にパンナムの人が東京に来たかをつぶさに見てみたい。あとは何人かの選手たちの五輪の戦い方をじっくりと見てみたい。

-NHKの後輩に期待することは

現場の空気感を伝えるのが一番の役目。今、どんどんテレビの映像がよくなっているし、音声もよくなっている中で、見れば分かることはもういい。見ている人はかなりの情報を画面から得ることができるし、それをただ説明するのではなく、その向こう側にある、その場でしか分からないことを伝えてほしいですね。

夏季五輪の思いを笑顔で語った元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(撮影・河野匠)
夏季五輪の思いを笑顔で語った元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(撮影・河野匠)

◆刈屋富士雄(かりや・ふじお)1960年(昭35)4月3日、静岡県御殿場市生まれ。早大時代は漕艇部所属。83年にNHKに入局し福井、千葉放送局をへて92年から五輪実況アナウンサーに。五輪は92年バルセロナから10年バンクーバーまで8大会で現地から実況した。定年にともない、今年4月末でNHKを退局。5月1日付で立飛ホールディングスの執行役員スポーツプロデューサーに転身した。

日刊スポーツが2020年東京五輪・パラリンピックに向けて毎週お届けする300回の大型連載です。ここでしか読めないスペシャルな話題満載です。

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