東京オリンピック(五輪)は、言葉の面からも楽しみたい。国語辞典編纂(へんさん)者の飯間浩明さん(53)に、五輪に関連した気になる10個の言葉を解説してもらった。いつの間にかスポーツ界に定着したワード、選手が発する独特のフレーズなど、意外な言葉の世界が見えてくる。【取材・構成=佐々木一郎】

五輪やスポーツにおいての「言葉」について語りながら辞典を調べる国語辞典編纂(へんさん)者の飯間浩明氏(撮影・浅見桂子)
五輪やスポーツにおいての「言葉」について語りながら辞典を調べる国語辞典編纂(へんさん)者の飯間浩明氏(撮影・浅見桂子)

<はじめに>

話を始める前に、東京五輪は開催できるんだろうか、このまま開催していいんだろうか、という不安を持っていることを告白します。関係機関の対応にも、強い不満を感じています。こんな状況でさえなければ、私だって心置きなく五輪を楽しめるんですが。

本来、五輪というのは言葉の宝庫なんですよ。私は辞書を作る人間として、日頃からスポーツの言葉も観察しています。東京五輪ともなれば、どんな珍しい言葉が拾えるかと、本当に期待していたんです。

ここでは、しばしコロナ禍の現実を忘れて、理想的な形で五輪が開催された世界をイメージしながらお話ししましょう。


■あ…ア

アーティスティックスイミング

シンクロナイズドスイミングが改称されて「アーティスティックスイミング」になりました。五輪のテレビ中継で、アナウンサーが毎回「アーティスティックスイミング」と言うのは大変だと思います。シンクロナイズドスイミングの場合は「シンクロ」と4文字になりました。アーティスティックスイミングは、「アーティスティック」とも「AS」とも略されますが、どっちが優勢になるかと、そんなことに注目しています。重箱の隅をつつくように思われるかもしれませんが、これは職業病なんです。

アーティスティックスイミング日本代表(21年5月撮影)
アーティスティックスイミング日本代表(21年5月撮影)

アスリート

今、「スポーツマン」って言いませんね。「スポーツ選手」とも言わず「アスリート」が使われます。私は初めて「アスリート」と聞いた時に、何だかかっこつけているなと思ったんです。「スポーツ選手」でいいんじゃないかと。でも、「アスリート」が使われるのは、かっこいいからというだけでなく、「スポーツマン」「スポーツウーマン」と男女を分ける言い方を避ける意味もあるんでしょうね。

「アスリート」は割合、新しい外来語です。コンサイス外来語辞典の第3版(1979年)には載っていませんが、第4版(1987年)から載りました。80年代にコンサイスの目にとまるほどには「アスリート」が広まったらしい。でも、私の記憶では、80年代には自分では使っていませんでした。多くの国語辞典が載せるようになったのは21世紀になってからです。だんだん広まってきて、今は普通の言葉になりました。そういう緩やかな変化がありました。

■い…イ

いい色のメダル

アスリートは「いい色のメダル」という言い方をします。私が手元にとっている例ですと、卓球の伊藤美誠選手が「五輪でいい色のメダルを取りたい」という言い方をしていますね。これは一種の婉曲(えんきょく)表現です。いい色ってなんだろう? 金、銀、銅しかないので、ピンクとかのいい色が欲しいのかなと思っちゃいますが、そうではなくて、より順位の高いことを表すメダルが欲しいということですね。昔なら普通に「金を取ります」とか、「金は無理でも銀は取りたい」とか言いました。それをぼかしている。これも1つのスポーツ慣用句になりつつあると思います。

伊藤美誠(20年1月撮影)
伊藤美誠(20年1月撮影)

■お…オ

追い抜かす

スポーツ選手がある表現を多用し、それが一般に広がることがあります。例えば、マラソンなどの競走で「前の人を追い抜かす」と言います。「追い抜かす」という言葉は、昔は辞書には載っていなかった。「追い抜く」しかなかったんです。「追い抜かす」は俗語がスポーツ界に入ったのだと思います。それに注目したのが岩波国語辞典です。「主にスポーツで、『追いぬく』の意。追い越す。『早くあいつを追い抜かして関取になりたい』▽二十世紀末から急増した言い方」と岩波は書いています。これを初めて見た時、「やられた」と思いましたね。私たち、三省堂国語辞典も、その後に出た第7版で入れました。

「布団をはぐ」よりも「布団をはがす」のほうが意図的な感じですが、それと似ています。追い抜くというと、自然と追い抜いちゃうんですけど、「追い抜かす」というと一生懸命追い抜いて、相手より先に行く。そういう気持ちを込めたために、それいいね、ということでみんなが使うようになったんでしょう。

■か…カ

形(かた)

これは空手の種目です。たった1文字で、正式の種目名としては一番短いものです。最初は何のことだろうと思いました。形を演じて見せるもので、一種の演武だと言われて納得しました。実は私、空手と他の格闘技の区別もよく分かっていないんです。辞書の作り手としては、ぜひ実際の演技を観察したいです。

■こ…コ

五輪

この表記を考案したのは、新聞社の記者だったようですね。「オリンピック」「五輪」と2つあると、ネット時代で不便だと思うことはあります。五輪情報を検索することが多くなりましたが、「五輪」で引っ掛かるウェブサイトと「オリンピック」と入れないと引っ掛からないサイトがあります。なのでいつも両方で検索しています。

五輪マークと後方に見える国立競技場(20年3月撮影)
五輪マークと後方に見える国立競技場(20年3月撮影)

最近はオリンピックでなく、オリンピック・パラリンピックという言い方をしていますね。これは長いので、「オリパラ」と言ったりします。そういう略し方は俗っぽいと思っていたのですが、NHKもオリパラと言っているし、定着しつつある。「五輪パラ」と書く場合もありますね。どれに落ち着くかというのが気になるところです。

■ち…チ

違う景色

選手のコメントで出てくるフレーズです。例えば、「頑張れば違う景色が見られる」とか、いくつか実例を拾ってきました。パラリンピックでは陸上の高桑早生選手が、去年大会が開かれる予定だった時に「2020年は、あの時と違う景色を見られるといいなと思います」と言っています。実際の競技に出ると、そこでしか見られない景色があるわけですね。「新しい体験をする」ということを「景色を見る」と言っている。1人だけがそういう言い方をしているのなら、表現力が豊かですね、ということで終わるんですが、何人もがこの使い方をする。アスリートは今までと違う景色、普段、我々では体験できないものが見たいんだろうな、スポーツをやっている醍醐味(だいごみ)というのは、他の人が見られない景色が見られるところなんだろうなと思います。以前はなかった表現ですが、もっと一般化すれば、辞書に「景色」の新しい意味として載るかもしれません。説明をどう書くかが難しそうですね。

■つ…ツ

つなげる

「次につなげたい」という言い方をしますね。この「つなげる」は東日本の言い方で、一般には「つなぐ」です。手をつなぐ。鎖をつなぐ。それが、ある時期から「つなげる」が増えてきた。使い方からして、スポーツ界隈(かいわい)から広まってきたんだろうと思います。よく言うと思いません? 「次につなげたいです」って。「つなぎたい」なら、つなぐだけ。「つなげる」だと一生懸命、次につなぐ。意図的につないでいるのが「つなげる」ですね。

■に…ニ

にわか

ファンになりたての人を指す「にわか」の運命にも注目しています。2019年ラグビーのW杯の時に、いつもはラグビーを見ない人も、にわかファンになって応援しました。その時に「にわか」という言葉が広まりました。それまで「にわか」は一種の蔑称でした。それがラグビーW杯を境に、「私、にわかですけど」と名乗るようになって、「にわかでもいいんですよ。一緒に楽しみましょう」と「にわか」が蔑称でなくニュートラルな意味で市民権を得たんですね。今後、五輪でもいろんなにわかが現れるでしょう。ラグビーで広まった「にわか」が定着し、普通の言葉になっていくのでしょうか。

ラグビーW杯日本大会 日本対ロシア 後半、ラブスカフニのトライを喜ぶ観客席を埋め尽くした日本サポーター(19年9月撮影)
ラグビーW杯日本大会 日本対ロシア 後半、ラブスカフニのトライを喜ぶ観客席を埋め尽くした日本サポーター(19年9月撮影)

■ふ…フ

フィニッシュ

マラソンのゴール地点を今は「ゴール」とは言いません。「フィニッシュ」ですね。「フィニッシュ地点」などの派生語もあります。新しい言葉は、使う人が増えて、派生語が現れるようになると、辞書に載るんです。2008年に出た三省堂国語辞典の第6版で「フィニッシュ」は、ゴールの意味がなかった。体操などで最後の動作の時に決めるフィニッシュは把握していたんですが…。2014年の第7版には載りました。スポーツの用語は注意しているのですが、盲点でした。

鈴木健吾(21年2月撮影)
鈴木健吾(21年2月撮影)

<最後に>

小さいころは私は広島カープのファンで、広島ばかり応援していました。現在、野球を見る時は、特にどっちが勝ってほしいとは思わなくて、どっちが頑張っているかな、という目で見るようになりました。五輪などの大会を見る時も、どの国のチームかに関係なく、選手個人に感情移入することが多いですね。

競技を見ながら言葉の観察なんかできるんですか、と聞かれることもあります。それは大丈夫です。目も耳も動員して集中します。アナウンサーの使った競技用語が分からなかったら、ブルーレイレコーダーを早戻しして、何度も選手の動きを確認します。そう、テレビは必ずレコーダーに録画しながら見るんです。変わったスタイルかもしれませんが、これが私なりの、スポーツの楽しみ方なんですよ。


◆飯間浩明(いいま・ひろあき)1967年(昭42)10月21日、香川県生まれ。早大第一文学部卒、早大大学院文学研究科博士課程単位取得。国語辞典編纂者。「三省堂国語辞典」編集委員。朝日新聞「be」で「街のB級言葉図鑑」を連載中。ツイッター@IIMA_Hiroaki