オリンピック(五輪)には、96年アトランタ、00年シドニーの2度出場させていただきました。1度目はアマチュア、2度目はプロとして出ましたが、共通するのは「日の丸」をつけて戦ったということ。日本中の人が応援している中でプレーするのは格別な時間でした。

アトランタは特に印象深いですね。五輪後に10人がプロ入りして「アマ最強」と言われた布陣で臨みました。チーム内には五輪を「アピールの場」と捉える向きもあり、五輪前は一体感がやや欠けていました。そんな雰囲気を一変させたのがエース杉浦正則さん(日本生命)のひと言でした。

直前の米フォートマイヤーズ合宿のミーティングで「みんな、どこを目指しているんだ! オレたちはキューバを倒して世界一を目指しているんだ」と怒鳴ったんです。衝撃的で、みんな「金メダル」を再確認しました。

準決勝で格上と見られていた米国を破り、キューバとの決勝戦では満塁本塁打を打つことができました。スライダーに絞り、腹をくくって打った感触は今でもはっきりと覚えています。負けてしまいましたが、あの1発があったからプロ入りできたと思っています。

4年後のシドニーは、プロアマ混合チームでした。プロは6人しかいませんでしたが、アマの選手が遠慮している雰囲気はありました。アトランタの時にアマで出場したので、プロが入ることで外されるアマ選手がいることは複雑でした。選ばれたからには何とかしたいと思いましたが、プロアマの壁を取り除くことはできず、空回りしてしまいました。

残念ながらメダルを逃し(4位)ましたが、その経験が後にオールプロの侍ジャパン結成につながり、サッカーのような年代別代表ができるきっかけになったと思います。

東京五輪は全員が同じ方向を向いて金メダルを取ってほしいと思います。自分が打つ、抑えるじゃなくて、全員でカバーし合ってメダルを取る。そのために何をすべきか常に考えてほしいと思います。

私は東京五輪では、ハンドボールの普及活動に携わっています。息子がハンドボールをやっている縁で、日本ハンドボールリーグ公式アンバサダー(親善大使)に任命されました。この1年でさらに認知度を高め、本番につなげていければと思っています。もちろん野球界のことも考えています。今は四国独立リーグの香川オリーブガイナーズのGM兼総監督ですが、将来はNPBで恩返しできるよう、日々精進しています。(317人目)