東京五輪・パラリンピックが1年延期になるって聞いたときは、延期か中止かも分からない状況だったので「来年できるんだ」というのが、正直な気持ちでした。中止の可能性もあった中での延期。1年後ということですけど、開催できることにうれしさがありました。

僕自身は埼玉西武ライオンズで、チームのために結果を出さないといけない立場なので、もっともっとやってやろうという気持ちが大きくなりました。1年という時間は長いようで短い。今できるプレーを全力でやった中で、そこを評価してもらってこそ、選んでもらえる。だから、そんなに長いなとも感じません。

やはり、自分が五輪で侍ジャパンの一員として呼ばれるとすれば、求められている役割は、内野も外野もできるユーティリティーを重宝されてのことだと思います。その役目をまっとうしないといけない。6月にプロ野球が始まって、今、毎日試合ができています。二塁手として出ることがほとんどで、外野での試合数というのは少なくなってきているので、練習の合間に外野で守る気持ちをぶれずに持ち続けるようにしています。

久々に外野を守ると、怖さもあります。この前も打球をそらしたことがありました。そういうプレーをするとますます怖くなる。あらためて外野の難しさを実感しつつ、言われたときにしっかりとプレーしないと、ユーティリティーという役目をまっとうできません。だから、気持ちの部分も含めて準備を怠ることはないよう心がけています。

僕の修汰という名前は、両親がバスケットボール選手だったので、シューターが由来で名付けられました。本格的に野球をやるまでは、バスケも含めて遊びでいろんなスポーツをやっていました。球技は基本的になんでもやれます。バスケもサッカーも。小さい頃は、おばあちゃんと一緒に公民館についていって、卓球もやっていました。そうやって、いろんなスポーツを遊びでやっていたことが、今の自分に、もしかしたらつながっているのかもしれません。

地元での五輪は一生に1度の機会。出たい気持ちはもちろんあります。プロ野球のシーズンも佳境に入り、現状からすると五輪とかいえる成績じゃありません。ただ一生懸命に、初心の気持ちをもって、1試合1試合勝負していくしかありません。(323人目)