内助の功が、連覇を支えた-。青学大・原監督の美穂夫人(48)は04年4月の監督就任と同時に、夫婦で東京・町田市の学生寮に住み込んだ。食事の準備や選手の健康面、相談相手としてフル稼働。“選手の母”として原監督とのパイプ役を務めた。

 学生寮の毎日は忙しい。学生寮に住み込んで12年になる美穂夫人は朝6時に起床。6時半には台所に立ち、前夜に研いでおいた3升(30合)分の米の入った炊飯器にスイッチを入れる。麦茶は12リットル用意。配膳、掃除、買い出しなどに追われる。「監督がお父さんなら、わたしはお母さん」。寮の生活を守るため、1年365日、休みはない。

 食事前は選手とともに配膳を手伝う。気さくに選手と話すことで、性格や考えを把握。個性を見極めると、朝のあいさつなど、ふとしたしぐさで選手の心理状態が見えてくる。「寮は家。本性は隠せない。如実に分かります」。異変を感じたら、すぐ夫に相談する。

 03年春、中国電力社員だった夫に青学大監督の話が舞い込んだ。3年の嘱託契約で将来の保障はない。広島には自宅を購入したばかりで住宅ローンも残る。当然反対したが心中は別だった。「陸上が好きだし、反対しても無理。だからいいよではなく、反対して反対して行かせた方が、夫も強い覚悟ができる」。冷静な妻の判断が今につながる。

 最大の危機は06年10月の箱根予選会。契約が切れる3年目でも出場切符を逃した。チームは空中分解。女子マネジャーが夫に「選手の前で謝ってください」と詰め寄った。「普段は口出しはしませんが、このときばかりは謝る必要はないと。今までやってきたことを全否定にすることになる」。混乱して謝罪しそうになった夫を必死で止めた。

 1年契約が延長した07年予選会も次点で逃した。ただ、あと1歩に迫った実績が評価され、やっと夫は嘱託から大学職員の立場に昇格できた。翌08年の予選会を通り、09年大会で33年ぶりの出場を決めると、その後は上昇カーブを描いた。

 「わが子のように選手を愛さないとできませんね。中国電力の社員の奥さんだったら悠々自適だったかもしれないけど、この年になって青春と感動が味わえるのはありがたい。完全な休みはないけど、もう趣味の領域」。最大の味方で最高の参謀が、強い青学大を陰で支えた。【田口潤】