男子エペの最年長出場選手、36歳の坂本圭右(自衛隊)が「引退試合」で日本一に王手をかけた。

「うれしいですけど…非常に疲れました。以上です」。決勝進出者のオンライン取材。第一声から素っ気ない。優勝3度のベテランともなると、勝ち負けでは一喜一憂しないのか。続けて「36歳になっても競技生活を続けるモチベーションは?」と聞かれると、真顔で衝撃の発言を返した。

「競技生活…? 続けてないです。僕、去年いっぱいで引退したんで。練習もしてません。なぜ勝てたか聞かれても…。何でですかね」

新型コロナ禍の中で開催された、特別な今年の全日本。男女6種目の決勝が26日に行われるため、予選では準決勝まで争われた。3日間の最終日、最終種目、最終戦。大トリの坂本が14歳下の古俣聖(22=本間組)を15-8で圧倒した。持ち味は観察眼。ゆったりした動きで相手をいなし、カウンターで仕留める。一方で前に出た時には、的確に相手の胸や胴を突き、つま先をとらえた。

直後の取材も、ゆったりしていた。「いや、引退試合のつもりで出てたんで。決勝なんて想像もしていなかった」。現職を聞くと「コーチです」。自衛隊の2等陸尉。近代5種班の指導者に転じ、今年から後進の育成に当たっていた。

しかし、日本協会には選手登録が残っており、国内シニアランキング5位にとどまっていた。14年のアジア選手権個人戦や、同年の仁川アジア大会(韓国)団体戦で準優勝した実力派。昨年5月のワールドカップ(W杯)パリ大会では、世界から300人超が参加した中で日本人最高の28位に食い込んだ。

昨秋11月のW杯を最後に第一線から退いた。迎えた今大会。新型コロナ対策のため出場者が16人に制限され、ランキングの上位16人までが原則推薦される方式になっていた。舞い込んだ出場切符。「引退試合」と思うことにした。多くの選手が半年ぶりの実戦で過緊張を口にしていた中、重圧と無縁だったことが奏功したというほかない。

ただ、本人の考えを聞きたい。経験がモノをいう競技とはいえ、本当は最低限の練習を積んでいたのでは? そう突っ込まれると「週1回、ファイティング(実戦形式の練習)をしているくらいかなぁ」。ほかには? 食い下がられると「7月と8月にジュニアの代表合宿にヘルプで行ったくらいかなぁ」。単刀直入、何とか勝因を自己分析してほしい、と要望されると「最大の要因は…うーん。勝ち上がるたびに、当たると思ってた選手が逆になった(敗退して姿を消した)からかな。それが自分にとって、うまく働いたということで」とファイナルアンサーを出した。

確かに…といっては失礼だが、有力選手が敗れていたのは事実だ。坂本は初戦で田尻航大(中大)を15-11で退けた後、2回戦で「さときんぐ」こと村上仁紀(あおぞら病院)と対戦。ランク13位の村上は1回戦で、同7位の伊藤心(自衛隊)を食っていた。もし教え子が勝ち上がってきたら、楽しみでも複雑でもあったはずだが、相手は村上になった。弟子の敵討ちとばかりに15-8でひねり倒した。

続く準々決勝。順当ならランク1位の見延和靖(ネクサス)と相まみえるはずだった。ところが見延は2回戦で新鋭の古俣に敗戦。18-19年シーズンに日本人初の世界ランキング年間1位になり、日本代表の主将を務め、選手会の会長も兼ねる今のフェンシング界の「顔」。ぶつからずに済むと、あとは古俣の勢いを止めるだけ。15-8の完勝で決勝に駒を進めた。

日本一を争う相手は宇山賢(28=三菱電機)。代表の主軸で、現役最強を争うグループの1人だ。一筋縄ではいかないが、ここでも巡り合わせがあった。

代表のエース山田優の不在。過去3年で2度の全日本制覇を誇り、今年3月のグランプリ大会で初の金メダルを獲得し、最新の世界ランク2位で来夏の東京オリンピック(五輪)代表入りを、男子で唯一確実にしている男が欠場した。彼の所属も自衛隊。実力日本一の後輩がいないとなれば、一発勝負、何が起きてもおかしくない。

勝てば8年ぶり4度目の頂点。昨年優勝の山田に続く「体校」(自衛隊体育学校)勢の連覇もかかる。置きみやげには最高だ。それでも欲はない。「せっかくなら優勝して終わりたいか?」と聞かれても、相づちを打つ気も、意気込む必要もない。「負けても、全日本は優勝3回、2位3回(過去に準優勝2回)になるんで、それもいいかな」。なぜか金銀のメダル数をそろえてしまい、最後に重ねて決勝への意気込みを求められても「(自分に対し)よく頑張りました! もう満足です。勝つか負けるかは…どうでもいいです」と笑い飛ばした。

1つだけ約束したのは「ガンガン攻めるスタイルは貫きたいと思います」。結果、坂本のラストマッチに勝利の女神が寄り添ったとしたら何を語るのか。26日の決戦まで1週間。最後のシナリオは本人でも分からないが、理由だけは考えておいてほしい。【木下淳】