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最後の30勝投手、皆川睦雄さん死去

皆川睦雄さん

 プロ野球史上最後の30勝投手が亡くなった。元南海(現ソフトバンク)投手の皆川睦雄(みながわ・むつお)氏が6日午後2時20分、敗血症のため大阪府堺市の大阪労災病院で死去した。69歳だった。プロ入り3年目の56年から8年連続2ケタ勝利を挙げ、エースだった故杉浦忠氏(享年66)とともに南海の黄金時代を支えた。自宅は大阪市阿倍野区阪南町6の10の6。

 プロ入り時は上手投げだったが、肩の故障をきっかけに下手投げに転向し、200勝投手になった。シンカーとスライダーを駆使して、68年には31勝10敗、防御率1・61で最多勝利と最優秀防御率のタイトルを獲得。その後、30勝投手は出ていない。現役時代、登板の日は自宅で必ずもちを食べてきた。「腹持ちがいいんだ」が口癖だった。車の運転はせずに、いつも夫人に送られて球場入り。勝てば次も同じ道を、と験を担いでいた。30勝の響きだけでとらえると剛腕のイメージだが、物静かで、まじめな粘り強い人だった。

 南海で同僚だった広瀬叔功氏(68=日刊スポーツ評論家)は「南海ホークスが消え、杉浦がこの世を去って、そして今回。1人、また1人と仲間がいなくなってしまう気がして本当にさみしい」としんみり。「皆川さんは杉浦のように目立たない中で200勝をした。中継ぎ、抑えの仕事を確立した投手だった。今の野球につながる大きな仕事をした人だと思う」と話した。

 皆川氏は現役引退後はコーチを歴任。最近まで解説者としてネット裏に通っていたが、病魔に侵され静かに逝った。

写真=皆川睦雄さん

◆皆川睦雄(みながわ・むつお)
 1935年(昭和10年)7月3日、山形県米沢市生まれ。米沢西高(現米沢興譲館高)から54年に南海入団。現役18年間の通算成績は221勝139敗。オールスターには6度出場。現役引退後は阪神、巨人、近鉄でコーチを務めた。
葬儀日程
 ▼通夜 10日午後7時から、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、やすらぎ天空館で
 ▼葬儀・告別式 11日午前11時から、同所で
 ▼喪主 長男忠裕(ただひろ)氏


関係者悲しみの声

 南海時代にバッテリーを組んだシダックス野村監督 突然の悲報に驚いています。皆川とは同級生で、2軍時代からともに南海で頑張ってきた仲間です。今思えば南海を背負ってきたことを懐かしく思います。

 オリックス仰木監督 プロ同期生で、南海、西鉄でパ・リーグを盛り上げた時期の好敵手だった。近鉄監督時代には投手コーチをしてもらったし、思い出がたくさんある。人間的にも誠実でかがみにしたい人物だった。ただごめい福を祈るばかりです。

 ソフトバンク王監督 私が巨人監督時代に投手コーチとして、また、名球会メンバーとしてご一緒させていただきました。とにかくジェントルマンでスマートな人でした。大阪ドームで試合があったときは、よく応援していただいたことが思い出されます。もっともっと一緒に語らいたかった。

 巨人堀内監督 突然の訃報(ふほう)で本当に驚いています。球界の先輩が亡くなるということは非常に寂しいことです。

 稲尾和久氏(本紙評論家) 杉浦さんとともに南海を象徴する投手でした。皆川さんは200勝するまでずいぶん時間がかかったけど、精神的にも強く、あの粘り強い投球は、まさに東北人という感じでした。

 西本聖氏(日刊スポーツ評論家) 巨人王監督の時代に、3年間お世話になりました。厳しさの中にもソフトな感じを持つ投手コーチでした。去年、球場でお会いしたときはお元気でしたのに。現役時代にあれだけの成績を残した方ですからね。まだまだ球界に貢献できたのに残念です。

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