横浜にも五輪がやってくる。プロ野球DeNAの本拠地・横浜スタジアムが、野球・ソフトボール競技のメイン会場に決まった。同球団で、プロ野球史上初の女性オーナーを務め、DeNA本社創業者の南場智子代表取締役会長(55)が、IT企業ならではのアイデアを熱く語った。野球だけでなく、スポーツ界全体とITに「渡り廊下」をかけ、3年後の五輪と「ビヨンド五輪(=五輪後)」を充実させる。【取材・構成=荻島弘一、栗田成芳】

横浜スタジアムの改装完成図の画像を披露し魅力を語るDeNA南場智子オーナー(撮影・足立雅史)
横浜スタジアムの改装完成図の画像を披露し魅力を語るDeNA南場智子オーナー(撮影・足立雅史)

■思った通りにかなえられてくハマスタと都市の未来予想図


 野球・ソフトボール競技メイン会場に選ばれた横浜スタジアムが、生まれ変わろうとしている。今年3月に増改築プランが発表され、両翼にスタンドを増築し、個室観覧席や屋上テラス席を新築。収容人数は約6000増の3万5000人に拡大し、屋外球場では甲子園に次ぎ日本2位の大きさになる計画だ。

 南場オーナー いろいろ考えましたね。(内野と外野を)ぐるっと回したり。まず回遊性を実現したかったんです。お客様が球場を1周まわれるようにしたいなと。今は青写真を出していますが、ワクワクするような内容で、いいものになると思います。

 ホームベースとセンターの位置を180度入れ替えて考えてみるなど、可能性を模索。オーナー自身もたびたびハマスタへ観戦に足を運ぶ。「外で応援したくてしょうがない。1度でいいから外野で、まじって大声で応援したい。でも周囲に止められていて…」。そんな本音があるから、野球を楽しむ構想を本気で考えられる。

 南場オーナー コミュニティーボールパーク化構想と言っていたのを、横浜スポーツタウン構想と広げて、横浜全体を盛り上げていきたい。スポーツを軸に全体を盛り上げていく取り組み。五輪を大きな1つの目標にして、五輪を超え、後を見据えて何ができるかがポイントになる。世界の人々に見ていただいた時に誇りに思えるものにしたい。ビヨンド五輪、つまり五輪の後に横浜スポーツタウン構想の中核、へそとして機能する集いの場にしたいと思ってます。

 横浜スタジアムは、1896年(明29)の古くから国際試合が行われた場所。そんな「歴史を感じさせたい」という一方で、インターネット環境を駆使したスマートスタジアム化も「もちろん考えています」。テクノロジーだけが先走りしないで老若男女が楽しむために、DeNAグループが約85億円の費用を負担し、今オフ着工予定。完成は20年2月ごろ。加えて横浜スタジアムの運営権を40年、2062年まで延長した。近郊の横浜文化体育館再整備事業では、協力企業としての参画も決まった。

 南場オーナー 40年後何が起こるかは分かりません。私には子どもがいません。将来戦争がないだろうかとか、どんな世の中になるのか、と気にはするものの、私は後世に残せるものがないなと思っていました。40年にわたって、2062年まで街に貢献させていただくと考えたとき、40年間戦争がないようにしたいと、切実に感じられた。そういう気持ちで会社全体が横浜、神奈川、日本、世界の平和や健康を考えられる立ち位置にこられたのはありがたいこと。責任重大ですが、企業は張りがあって頑張れる。そういう意味で感謝しています。

■原動力は「スポ根」

 そもそも、南場オーナーのスポーツに対する原動力は、競泳で培った〝スポ根〟だった。小学校から始め青春時代をささげた。1日1万メートル泳ぐ日々。そこで養われた精神力が、下支えになっている。

 南場オーナー スポーツをやろうというきっかけは常にテレビでの日本人の活躍でした。それで没入した。私がスポーツから得たものは大きい。とってもたくさん練習しました。そこで私は深く極めたり、我慢することを学べたと思う。残念ながら素晴らしい選手にはなれなかったけど、自己研さんするとか我慢するとか、チームワークとか、団体行動とか…。クラスでは学べないレベルのものを経験しました。

 テレビに映る日本人選手たちに、熱中した。72年ミュンヘン五輪の金メダルを目指すバレーボール男子日本代表を題材にしたアニメドキュメント「ミュンヘンへの道」に夢中になった。「実は…」と小学校時代のエピソードを、照れながら明かした。

 南場オーナー 将来なりたい夢を作文で書いたときに、絵付きで「五輪金メダリスト」って書いているんです。自分が泳いでいる姿も書いて。今回、東京五輪で、世界のトップアスリートの活躍を間近で見られる。必ずや、私がテレビで見て没入した以上のインパクトを子どもたちに与えるでしょう。

 自身が没入した競泳や、オーナーを務める野球だけでなく、他競技にも視野は広がる。元五輪選手の瀬古利彦氏を総監督にした横浜DeNAランニングクラブを持ち、来年発足が決まっている卓球の国内リーグ「Tリーグ」で、何かと同社の名前が挙がる。

 南場オーナー 卓球などにも関心を持っています。特に卓球は、テレビ放送に向いている。世界で上位ランクに食い込んで、もうすぐ頂上という一番面白いところ。参加型で、温泉で浴衣を着てやれる。手軽にできるという意味で野球とは違ったよさがある。当社はよくTリーグの話が出ているけど、まだ確定していることはなく研究しているところです。いろいろ協会さんともお話しさせていただいています。

 チャーミングな笑顔で詳細はけむに巻いたが、東京五輪では、スポーツという軸に横浜という軸をまじえ、そこにIT企業ならではの先鋭的な要素を加える。

■無限の可能性

 DeNAではすでに、無人自動運転事業を進めている。開発した「ロボットシャトル」を、昨年8月に千葉市内のイオンモール幕張新都心に隣接する豊砂公園で試験運行。運賃大人200円の有料実用化は国内初だった。今年4月には金沢動物園(横浜市)で試乗イベントを実施。東京五輪では、横浜スタジアムを中心にした運行や、最寄り駅の関内駅、日本大通り駅からの移動手段として、実用化されるかもしれない。

 南場オーナー インフラは、規制の部分があるので、横浜市や国と連携しながらていねいにやっていかないといけない。可能な限り横浜で実現させたい。わが社はIT企業ですし、ずっと事業をやっている。スポーツを超えて、持っているノウハウを都市のさらなる活性化にすべて使っていきたい。

 オーナーの目には、無人のロボットシャトルに乗る子どもたちの姿が浮かんでいる。目を輝かせ、胸を高鳴らせる子どもたちと、かつてテレビに映し出される五輪選手に没入し、夢を抱いた自分を重ねる。それは五輪を契機にスポーツという枠を超えて、無限の可能性を秘めているからだ。自動運転に加え、今夏にはAI(人工知能)を活用したタクシー配車アプリの実用実験を横浜で開始した。

 南場オーナー 自動運転、タクシーの配車アプリは街を活性化するポイントになる。人の動線、移動手段、トータルで都市を設計していくことに貢献できる部分がある。スポーツと、自動運転のサイエンスやテクノロジーは関係ないようで、いくらでも「渡り廊下」をつくれる。刺激を受けて、あるものはスポーツにいそしんだり、あるものはテクノロジーとか、社会的活動、国際交流に頑張っていけるのはいいことだと思うんです。

 実際にDeNAでは7月、プロ野球ホーム開催日に「キッズスタジアム」イベントで、プログラミング体験を実施した。子どもたちが生み出した応援動画が、横浜スタジアムの大型画面で上映され、練習する選手たちも見入っていた。

 南場オーナー プロスポーツチームを運営する立場、そのチームが活躍する「箱」を運営する立場、IT企業の立場で街全体を活性化できる。立ち位置はピンポイントでなく、すべての立場で、この五輪というイベントを機に、ビヨンド五輪の街の活性化に全身全霊を尽くせる。ベイスターズは去年、今年は発展した年。街の方々も温かい。応援していただいている我々が、総力をかけて街づくりに尽くす立場でいたい。軸は神奈川、横浜。

 横浜での東京五輪、そして「ビヨンド五輪」もまた、魅力にあふれている。

 ◆南場智子(なんば・ともこ)1962年(昭37)4月21日、新潟市生まれ。津田塾大英文学科卒。86年にマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。96年マッキンゼー・アンド・カンパニーの役員就任。99年に同社を退社しDeNAを設立。11年11月、DeNAがプロ野球横浜ベイスターズの筆頭株主となり、横浜DeNAベイスターズが誕生。12年から新規参入。15年1月に同球団オーナー就任。

瀬古総監督(中央)とランニングクラブ
瀬古総監督(中央)とランニングクラブ

<3大会ぶり復活> ◆東京五輪の野球競技 開催都市提案の追加種目として、昨年8月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で野球・ソフトボールの実施が正式決定。08年北京五輪以来3大会ぶりの復活となった。参加は6カ国で、主会場は横浜スタジアム。野球、ソフトとも日本の開幕戦が福島県営あずま球場で行われる。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)は野球で総当たりの1次リーグを求めているが、IOCと組織委員会はコスト削減などから2組に分けて1次リーグを実施する意向。ソフトボールは総当たりで1次リーグを行う。


<Tリーグ参戦も> ◆DeNAのスポーツ 13年4月、廃部したエスビー食品陸上部を受け入れてDeNAランニングクラブを創設した。瀬古利彦総監督のもと、リオデジャネイロ五輪代表のビダン・カロキ(ケニア)らが所属。今季クラブの所在地を横浜に移し、横浜DeNAランニングクラブに改称した。来年10月に開幕予定の卓球新リーグ、Tリーグへの参戦も有力。


<3D映像> ◆五輪とIT革命 世界最大のスポーツイベントでもある五輪は、開催のたびに多くの最先端技術が披露されていた。64年東京五輪は、全世界に向けてテレビの衛星生中継が行われ、コンピューターによるリアルタイム計時が初めて採用された。インターネットで本格的な情報提供がされたのは、98年長野冬季大会。12年のロンドン大会でSNSが一気に広まった。20年東京大会では、3D映像によるバーチャル観戦、酷暑対策、セキュリティーなどに最先端技術が期待される。


(2017年9月20日付本紙掲載)