野球と女子バレーボール。日本国民に愛される2つの球技の監督が、20年東京五輪まで1年を迎える中、熱い対談を交わした。野球の侍ジャパン稲葉篤紀監督(46)が祭典まで1年の節目に会いたい人で、女子バレーボール代表の中田久美監督(53)を指名。代表監督としての苦闘、コミュニケーション術、国際試合での戦い、お家芸復活への誓いを語り合った。【取材・構成=広重竜太郎、小堀泰男、鳥谷越直子】


東京五輪について話し合うバレーボール女子日本代表の中田監督(右)と野球日本代表の稲葉監督
東京五輪について話し合うバレーボール女子日本代表の中田監督(右)と野球日本代表の稲葉監督

稲葉がやや緊張の面持ちで“待ち人来る”の時間に備えた。「星野(仙一)さんのような雰囲気を感じるんです」。

球界を代表する闘将に通ずるオーラを想像していた。五輪競技の強化拠点、味の素ナショナルトレーニングセンター。多忙な練習の合間を縫い、今回の対談のために着替えに向かった中田と廊下ですれ違った。「中田です。今日はよろしくお願いします」。シンプルなあいさつにとどまり、場を去る。凜(りん)とした空気が残る。キャスター経験豊富な稲葉も「忙しくて大変そう。話してもらえますかね?」と少し心配した。

杞憂(きゆう)だった。


稲葉 15歳から日本代表に入り、五輪も3度出場し、今回は東京五輪の監督として出られる。私も現役で五輪に出ているが、そういうのも同じ。あとは厳しいといわれる中田監督が現代の若い子たちに、どう伝え、どう接しているのか。日本の女子バレーは昔、強いといわれ、相当プレッシャーがある中でどうはねのけたかを聞きたいです。

中田 (対談指名は)正直、びっくり。なんでだろうと。でも東京五輪という想像つかない、イメージはあるが何か怖さもありながら代表監督を務める重圧や、いろんなことでお困りなのかなと(笑い)。

稲葉 まさにそうです(笑い)。監督としての重圧はそれぞれ抱えていて共有したい。1人じゃない。ホッとしたい気分もある。

中田 分かりますね~。

東京五輪まであと1年。稲葉に「会って話してみたい人はいますか?」と振った。弊紙からの唯一のお願いは球界以外の人。化学反応に期待したからだ。はじき出された答えは中田久美。女子バレーの伝説。92年バルセロナ五輪の旗手。日本の五輪史を象徴するアスリート。面識はない。


1983年のバレーボール女子日本代表メンバー。後列左端が中田
1983年のバレーボール女子日本代表メンバー。後列左端が中田

稲葉 昔から本当によく見てた。中田さん、大林さんと人気がすごくあったし、アイドル的だった。でも一投一投、息をのみました。一生懸命に拾うじゃないですか? 本当に感動した。野球は見ますか?

中田 見に行ったことはあります。ビールを飲んでました(笑い)。

稲葉 野球場はそういう場所ですから。

中田 米国で(エンゼルス)大谷君を見に行きました。彼も1回、バレーを見に来てくれたことがあって。選手も一緒に写真を撮ってもらって非常に喜んで。

稲葉 刺激になりますよね。

中田 私は古田さんも野茂さんも一緒に(ソウル)五輪に行って選手村で写真を撮った覚えがある。昔(キャスター時代)全球団のキャンプに行ったが、みんな毎日二日酔い(笑い)。

稲葉 グラウンドに行けば、プロとしてちゃんとやる。それだけ強かった。遊んでもやる時代だった。

中田 今はそういう面白さはない。野球に限らず、バレーもすごくマジメです。


練習で指示を出す稲葉監督
練習で指示を出す稲葉監督

今昔はある。それでも稲葉は令和になった今も中田に「昭和を感じる」。04年アテネ五輪出場時、選手がスポーツ番組に出演した際、中田もゲストで同席した。打ち上げ直後ではしゃぐ選手。VTRに移行し、マイクがオンだったことに気付かず「てめぇら、この野郎!」と公共電波に怒声が響いた。有名な逸話だ。

中田 あれ(動画)は、かなり面白く編集されている(笑い)。昔みたいに残らないならいいけど一生残っちゃう。だから指導者もすごい気を使うし、言いたいことも言えなくなる。

ハラスメントと表裏一体の時代。稲葉は温厚で知られる。だからこそ、厳しさが同居する中田の対話術に興味を抱いたのだろう。

稲葉 若い選手と話すと時に厳しくなる。関係性を築くことが大事ですか?

中田 今の選手は娘ぐらいの年齢。とにかく話を聞く。人間なので調子のいい時も悪い時もある。認めながらもなぜ、昨日うまくいったことが今日はうまくいかないのか。いつも問うことを心掛けて接する。

稲葉 バレーは代表の集合期間が長い。コミュニケーションも多いから気づけることもありますか?

中田 競技の特性だと思う。バレーは「間」がない。野球みたいに考える時間があればいいが、落としたら点数が入る。あうんの呼吸、つなぐ、人のために、が大切。日常の選手の表情、行動を見逃さない中で問う。今日もみんな(記者含め)を見ている(笑い)。

稲葉 野球も毎日同じアップをする中で「今日はちょっとおかしいな」というのを見逃したらダメ。

中田 結構、後ろ姿に出る。走っているバランスがおかしい、普段と蹴り上げの回転数が違い「あれ?」と。でも、すぐに言わずに動きを見て判断する。

15歳から天才セッターとして洞察を続けた、たまものだ。

中田 人を生かさなければいけない。非常に忍耐力のいるポジションでの経験がベースになっている。

稲葉 野球でいったらキャッチャー。1人だけ全体を見ないといけない。


バルセロナ五輪でトスを上げる中田
バルセロナ五輪でトスを上げる中田

稲葉も名捕手、名将の野村克也の薫陶を受け、思考を植え付けられた。中田の対話法を掘る。

稲葉 今と昔の代表は(選手気質が)違いますか?

中田 一言ったら十気付かないといけないが、今の選手は一から十まで説明しないと動かない。周りにあまり興味がない。でも言えばちゃんと分かる。課題を明確に言葉で伝えるエネルギーは今の方が必要。昔はぶん殴られたら終わり。今はダメですよ(笑い)。

稲葉 昔は殴られて痛みを知って覚えるのも…もうダメですけど。だから言葉力、伝える力が大事。でもパッとカッとなったりする。冷静になるのも難しい。

中田 どこかで冷めている自分がいる。冷静でなければ女性同士なので感情でぶつかっちゃう。のみ込んで1日置く。映像を見直す。言うか言わないか考え、即問題をつみ取らなければいけない時は、頭をフル回転して言葉を選ぶ。

メンタル面に腐心するが、グラウンド上、コート上は情報戦の応酬でもある。

稲葉 監督もiPadをベンチに持っていますね。

中田 私は3秒ディレー(遅れ)のプレー映像と数字的なもの、日本がどういう攻撃で仕掛けて決まっているか。3パターンです。

稲葉 相手を分析したものではなく、自分たちのチームのデータですか?

中田 私はどちらかというと攻撃の部分を見たい。守り、大嫌いなんです。ハハハ!

稲葉 攻めるタイプですか!

中田 対策よりも、どう点を取るかの方が好き。もちろん(守備の)コーチもベンチにいるけど、それは任せて。私はどうやって点を取るのか考えている。

稲葉 バレーは基本的に点取りゲームですよね?

中田 そうです。野球は違いますか?

稲葉 野球は監督によるが、どちらかというと点を取って守る風習がある。僕は守りから攻撃のリズムをつくりたい。攻めのタイプですか…違ったタイプの方と話すとすごく勉強になる。同じタイプは似た発想になる。こう攻めると言われると勇気がもらえる。

データも増え、世界潮流の戦術も生まれる。だが日本人の強みは変わらない。


試合中に選手に声をかける中田監督
試合中に選手に声をかける中田監督

稲葉 メジャーでフライボール革命、フライを打ち上げた方がいいという考えが生まれた。バレーも海外の変化がありますか?

中田 (パワーの)男子化する中でも2メートル級の選手がスピードバレーに変わってきた。日本が世界と戦えたのは外国のレシーブ力、つなぎのスキルが少なかったので、スパイクを打てば点数につながるケースも多かった。今の外国はつないで拾う。最後は集中力の戦いになる。競った状況だとムキになって打ってくるので結構、的が絞りやすい。

稲葉 わざとカッカさせるような。野球もそう。外国人投手はイライラする。ファウルでわざと球数を投げさすとか一緒ですね。

中田 日本人の武器ですね。

10代から世界と戦ってきた中田の言葉は説得力が増す。80年モスクワ五輪は不参加だが、76年モントリオール五輪は金メダルで「東洋の魔女」復活を発信した。3度目の頂点を絶対的に期待された84年ロス五輪に、18歳で初出場。その裏で、公開競技で初実施の野球が金メダルに輝いたのと対照的に、少女は銅色の勲章を首から下げた。

中田 18歳の選手が4人いたんです。初戦の前日まで4部練習。朝のサーブレシーブで2時間、午前3時間、午後3時間、最後は夜練習2時間ぐらい。五輪という感覚がなかった。だからスタメン6人は選手村にも入ってないんです。

稲葉 やっぱり、やっていたんですね。18歳で4人というのもすごい。メンバー12人中の4人…それだけレベルも高いし、監督もかけていたのでしょう。

国内球界にも若き至宝がいる。未完の大砲清宮、高校生163キロ右腕の佐々木…かなうなら自国開催の祭典で誰もが見たい。未来を思い、ジレンマを抱える。

稲葉 これから野球界を背負っていく選手に経験させてあげたいという思いも当然、僕の中にもある。けど、結果も出さないといけない。となると、そこまで思い切れるかなと。厳しいところもある。

中田 野球は合宿も少ないから(代表の中で)育てるのは難しい。即戦力になりますよね。


08年北京五輪のカナダ戦で本塁打を放つ稲葉
08年北京五輪のカナダ戦で本塁打を放つ稲葉

環境も違い、おのおのの苦悩がある。公式戦の前後しか集まれない侍ジャパン。年間通して長期の強化活動を続ける女子バレー。休みになれば「引きこもり。誰にも会いたくない。静です」という中田は「いいな~」と冗談交じりに笑い、稲葉は「合宿でオリャー! と中田監督みたいに熱くやりたい(笑い)」と、うらやましがる。

苦悩や共感を分かち合いながらの対談。稲葉の最後の質問は純粋だった。

稲葉 メダル取って人生変わりましたか?

中田 う~ん。たかが銅メダルですから。

稲葉 金メダル当たり前だろうといわれた北京五輪で銅メダルも取れなかった私は…(苦笑)。

中田 金メダルといわれた中での銅メダルでしたから。でも目標を達成できなかったから、今もやっているのかも。取っていたらやめていると思う。悔しさしか、なくないですか?

稲葉 僕もそうです。北京で負けて五輪競技からなくなった。来年、復活するタイミングでリベンジさせてもらう機会を、監督として与えてもらった。五輪は競技を広めるネットワーク。野球人口が減っている中で勝って増やしたい。バレーもそうだと思います。大きなチャンスですよね。

中田 20年も大事だと思いますが、その後のスポーツ界に絶対にかかってくる。稲葉監督もそうですけど、何か意味のあるタイミングだと思う。チームジャパンで競技の垣根を越えて。そこをしっかりと頑張る。頑張るしかないですね!

稲葉 今日はよかった。僕の(対談相手の)選択肢は間違っていなかったです。

対談を終え、日の丸をバックにツーショットに納まる。稲葉が中田に聞いた。「金メダル取ったらパレードをするんですか?」「はい! バスに乗って。2人だけで乗りますか!」。日本のお家芸が昭和に置き忘れた、至高の黄金色のメダル。快活なやりとりで2人だけの1年後への“契り”が交わされた。(敬称略)


稲葉監督(左)と中田監督(撮影・大野祥一)
稲葉監督(左)と中田監督(撮影・大野祥一)

◆稲葉篤紀(いなば・あつのり)1972年(昭47)8月3日、愛知県生まれ。中京(現中京大中京)-法大を経て94年ドラフト3位でヤクルト入団。04年オフにFAで日本ハム移籍。06年日本シリーズMVP。07年首位打者、最多安打。08年北京五輪、09、13年WBC日本代表。12年に通算2000安打達成。14年引退。通算2213試合、2167安打、打率2割8分6厘、261本塁打、1050打点。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞は外野手で4度、一塁手で1度。日本代表ではプレミア12やWBCで打撃コーチを歴任し、17年7月に監督に就任。185センチ、94キロ。左投げ左打ち。

◆中田久美(なかだ・くみ)1965年(昭40)9月3日、東京都練馬区生まれ。セッターで中学3年で史上最年少の15歳で日本代表に選出された。卒業後、日立に入社。五輪には銅メダルを獲得した84年ロサンゼルス大会など3度出場。08年にイタリア1部セリエAのヴィツェンツァでコーチに就任し、日本人初の海外チーム指導者となった。12年に久光製薬の監督に就任。就任1年目に全日本選手権、プレミアリーグ、全日本選抜大会を制し、女子史上初の3冠を達成。16年10月に代表監督に就任した。東京・NHK学園卒。