今週の「東京五輪がやってくる」は、「ライバルからのエール」を紹介する。第1回は19、21年柔道世界選手権男子66キロ級覇者の丸山城志郎(27=ミキハウス)。昨年12月のオリンピック(五輪)代表決定戦で17、18年世界王者の阿部一二三(23=パーク24)に24分間の死闘の末に敗れ、代表切符を逃した。最強の敗者は、26日後に日本武道館の畳に立つ宿敵に「日本柔道の強さを体現してほしい」と激励の言葉を贈った。【取材・構成=峯岸佑樹】

4歳下に4勝4敗

東京五輪代表を逃した丸山は6月上旬、世界選手権(ブダペスト)2連覇を達成した。日本柔道初の「ワンマッチ(代表決定戦)」以来、半年ぶりとなる実戦。五輪代表の阿部は出場しなかったが、強豪の海外勢に包囲網を敷かれる中、我慢強く勝ち上がり改めて地力を証明した。世界ランキング1位のマヌエル・ロンバルド(イタリア)との決勝では、得意の内股で揺さぶり、すかさずともえ投げで技ありを奪って逃げきった。勝負に対しての底力も発揮した。

稽古後、取材に応じる丸山城志郎(撮影・峯岸佑樹)
稽古後、取材に応じる丸山城志郎(撮影・峯岸佑樹)

再び世界王者の称号を手にした27歳は「(代表決定戦で)負けて終わりなら、ただの普通の選手。逆境の時こそ自分の真価が問われるし、ここから必ずはい上がってみせる」と24年パリ五輪を見据え闘争心を燃やした。

東京五輪代表争いにおいて、敵は4歳下の阿部1人だった。「令和の巌流島決戦」とも呼ばれたワンマッチでは「生きるか死ぬかの勝負。人生を懸けて闘う」との決意で臨んだが、24分間に及ぶ世紀の一戦に惜しくも敗れた。五輪決勝に勝るとも劣らない大勝負は、国内外で大きな感動を呼んだ。試合後、力尽き、むせび泣く最強の敗者。対戦成績は4勝4敗。1度は夢が破れても「柔道人生は終わっていない」として現役続行を明言した。年が明けて現実と向き合う中で、「自分を強くしてくれる存在」というライバルについて口にするようになった。

丸山 阿部選手が自分をここまで高めてくれた。小さなことだが、日々の稽古やトレーニングで追い込んだ時に「残り1セット」という状況で体に限界が来ても、彼が脳裏に浮かび「絶対に負けない」という気持ちになる。

丸山城志郎と阿部一二三の対戦成績
丸山城志郎と阿部一二三の対戦成績

試合のシミュレーションも繰り返し、夢では何度も闘った。全8試合どころじゃない。自宅でくつろいでいても、体が急に反応して「びくっ」とする時もある。細かいことだが、こういった積み重ねが阿部選手に対しての闘争心を高め、自分自身を強くしてくれる。この関係は東京五輪後も続くだろうし、(決定戦のあった)20年12月13日は忘れたくても忘れられない日になった。



「一本」にこだわりを

30歳で迎える3年後の五輪を見据えて再始動した丸山は、柔道人生を変えた代表決定戦での「1敗」を決して無駄にしない。「あの試合までの過程を大事に、忘れないようにすれば、これからどんなにきついことがあっても乗り越えられると信じている。止まったら終わり。成長するためにも前へ進む」。大一番では技術や体力以上に「気持ちが大切」ということを学び、心技体でのより一層の強さを追求する。

「馬力ある柔道」を志し、課題の接近戦で相手をねじ伏せるためにも「上から畳みかけるような強さが必要」と肉体改造に励む。さらに武器である日本刀のような切れ味と称される内股や、スピードを最大限に生かすためのパワーを兼ね備えた新たな柔道スタイルを確立する考えだ。

天理大で稽古に励む丸山城志郎(左)(撮影・峯岸佑樹)
天理大で稽古に励む丸山城志郎(左)(撮影・峯岸佑樹)

本格派の勝負師は、7月25日に日の丸を背負って日本武道館の畳に立つライバルへこうメッセージを送った。

丸山 日本代表としてふさわしい柔道を、あの舞台で体現してほしい。五輪という大舞台で勝負にこだわる姿勢も大事だが、釣り手と引き手をしっかり持って一本を取りにいく柔道を見たい。あの日からの進化を示し、誰もが憧れるような日本柔道の強さや魅力を世界に伝えてほしい。五輪後の9度目の対戦も心待ちにしているし、自分もその日までの過程を大事に、必ず進化して次こそ勝ちたい。

逆境を力に変える最強の敗者は、宿敵の活躍を期待し、3年後の夢実現に向けて虎視眈々(たんたん)と牙を研いでいる。


「思い背負って頂点に」

17、18年世界王者の阿部も丸山について「自分を強くしてくれる存在」と認める。18年11月のグランドスラム(GS)大阪大会決勝で敗れてから、19年世界選手権までは3連敗。1枠の五輪切符を巡って切磋琢磨(せっさたくま)し、「勝ち続けて五輪に出るよりも絶対に強くなれた。丸山選手の思いも背負って、必ず頂点に立ちたい」と女子52キロ級代表の妹詩(20=日体大)とのきょうだい優勝を誓った。

東京五輪柔道男女代表・補欠
東京五輪柔道男女代表・補欠

◆東京五輪柔道男子66キロ級代表決定戦

20年12月13日に東京・講道館の大道場で開催された。日本柔道初のワンマッチで無観客で実施。序盤は阿部が積極的に前に出て攻めたが、試合時間の4分はすぐに終了。延長戦に入り、同1分50秒で丸山を指導2に追い込む。丸山も攻勢に出て、同12分に阿部も指導2で並ぶ。同20分に顔の出血治療後の阿部が大内刈りに入り、丸山の体を倒して「技あり」が宣告された。24分間に及ぶ激闘に決着がついた。生放送したテレビ東京は、予定していた放送時間を超え、番組を途中終了するアクシデントに見舞われた。

20年12月、東京五輪男子66キロ級日本代表内定選手決定戦で、丸山(手前)に勝利した阿部
20年12月、東京五輪男子66キロ級日本代表内定選手決定戦で、丸山(手前)に勝利した阿部
丸山城志郎と阿部一二三
丸山城志郎と阿部一二三

◆丸山城志郎(まるやま・じょうしろう)1993年(平5)8月11日、宮崎県生まれ。3歳から柔道を始める。福岡・沖学園高-天理大-ミキハウス。18、19年選抜体重別選手権で優勝。19、21年世界選手権優勝。左組み。得意技は内股、ともえ投げ。趣味は釣り。父は92年バルセロナ五輪65キロ級代表の顕志さん。兄は81キロ級の剛毅。家族は妻。167センチ。