<1998年長野パラリンピック アルペンスキー金メダリスト 大日方邦子さん(42)>

  「パラリンピック」の名称は知っていても、どんな競技があり、どんな選手がいるのかはあまり知られていません。認知度は高くなりましたが、まだ理解度は低い。2020年までにその差を埋めたいと思っています。競技に興味があり、応援したい選手がいる、だからチケットを買う。そんな人たちで会場が埋まれば、選手たちの大きな力になるし、世間の理解度も深まると思います。

 私は98年長野大会のアルペンスキーで冬季パラリンピック日本人初の金メダルを獲得することができました。地元開催はまるで違いました。大勢の観客の応援が力になりました。それまでスキー場にチェアスキーを持っていくと「大丈夫?」とけげんな顔をされていたのに、大会後は「一緒に練習を」と声を掛けてもらえるようになった。その興奮と感動を若い選手にも味わってもらいたいです。

 3歳の時に交通事故で両足に障害が残りました。高校の時にチェアスキーに出会い、94年のリレハンメル大会から5大会連続でパラリンピックに出場し、10個のメダル(金2、銀3、銅5)を獲得することができました。初出場した頃と比べると選手を取り巻く環境はまるで変わりました。

 私は06年までずっとNHKのディレクターの仕事とスキーの二足のわらじでした。仕事を終えて夜中に車を飛ばして長野県のスキー場に出向いて練習し、翌朝から都内で仕事という生活もしました。でも今は少なくともアルペンのトップ選手は仕事との両立は無理です。W杯が始まったので冬は国際大会を転戦します。ソチ大会の日本代表選手は年間120日も滑っていましたが、世界には180日という選手もいました。当然レベルも上がっています。

 2020年は日本で3度目のパラリンピックになります。64年東京大会で障がい者がスポーツすることが認知され、翌年に日本身体障がい者スポーツ協会が設立されました。98年長野大会では競技スポーツとして認められ、99年に日本パラリンピック委員会ができました。次はどんな節目になるのか。スポーツを楽しむ人からトップ選手まで、すべてのステージに障害のある人がいる。それが当たり前の社会になる。そんなきっかけになってほしいです。(2015年3月4日本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。