<アテネ五輪チームスプリント銀メダリスト 競輪選手 井上昌己(36)>

 五輪を意識したのはナショナルチームとして活動してからでした。デビュー直後にナショナルチームに推薦してもらいました。最初はまったく五輪の現実味がなかった。少しずつタイムが出るようになり、海外遠征に出場し始め、ようやく五輪が見えてきました。

 当時、チームスプリントの第3走者は流動的でした。だから3走目としてメンバーに入ったときはうれしかった。五輪本番はそれほど緊張はしませんでした。自分の中では毎年の世界選手権の延長という雰囲気。KEIRINグランプリの方が緊張したかも。競輪も人気がないほうが、しれっと走れるんです。自然体で五輪に臨めたのが良かったんだと思います。

 五輪直前の練習は想像以上にきつかった。米コロラド州の高地で合宿をして1カ月休みなし。体脂肪率も1桁台まで落として…。疲れ切ったのを覚えています。

 銀メダルを取ったことに自分たちが一番驚きました。その年の世界選手権は7位でしたが、五輪でタイムが急激に伸びました。予選の44秒355は、その年の世界選手権の優勝タイム(44秒394)を上回りました。その後も他チームのタイムが伸びなくて「これはイケるかも」って。予選通過後の2本目になったら体がもっと動いて、タイムも一番良かった(44秒081)。楽に追走できたしペダルを踏んだ感触も良かった。自転車がスムーズに流れたのを覚えています。あのきつかった合宿の成果だと思いましたね。

 せっかく決勝まで行けたから金メダルが良かったなとも思いますが、後悔はないし出し切れました。メダルを取った実感はなかったですが、帰国してからの国内の反応がすごかったのを覚えています。五輪に出て思ったのは「諦めずに頑張ることが大切」ということ。練習も腰もきつかったけど、精神的にも強くなれたし、すべてがいい経験でした。

 競輪との両立はきつかった。10年前はまだ若かったから耐えられたし体力に余裕もあったけど…。今年のリオ五輪代表中川誠一郎はすごい。同い年なのに合宿や海外遠征をこなして、競輪でも今が一番いい成績。僕はもう五輪なんて全然ないですね(笑い)。東京五輪が決まった瞬間、率直に「ああ、見に行きたい」って思いましたしね。東京五輪はいちスポーツファンとして楽しみにしています。


(2016年5月4日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。