<Jリーグ副チェアマン 原博実(57)>

 五輪には本当に出たかった。でも選手としては出られなかった。私たちの若いころサッカーでW杯に出ることは、まだ今のように現実的な目標ではなく、まずは五輪だった。Jリーグが開幕する93年まで日本にプロリーグは存在しなかったからアマチュアである我々にとって、当座の目標は五輪に出ることだった。

 東京とメキシコ以降、サッカーは五輪に出場できず厳しいことを言われ続けた。私が招集されたロサンゼルスの予選の時は、いい選手もそろって期待感が高まっていたにもかかわらず最終予選で敗れてしまった。

 選手としての最後の挑戦はソウルの予選。開催国の強豪・韓国が予選免除でまたとないチャンスだった。中国との初戦は広州が舞台。6万人の完全アウェーの中、私のゴールにより1-0で勝った。ヘディングシュートを決めたのだがスタジアムがシーンとした。代表の試合であんな雰囲気を味わったのは最初で最後。あまりに静まり返るから、あれ? と思ったらゴールが決まっていた。

 引き分け以上で五輪に行ける、そんな状況で最終戦、国立での中国戦を迎えた。でも0-2で負けた。本当に悔しかった。と同時に五輪に出場するのは、本当に難しいんだなと感じた。

 五輪を目指して戦ったことが自分の原点。それに、ソウル五輪予選で敗退したあの悔しさから、やっぱり日本にもプロリーグが必要だという流れになり、Jリーグ設立への機運が高まった。五輪は、ある意味、今のJリーグの原点でもあると思う。

 リオが終われば次の舞台は東京。サッカーに限らず、五輪を開催するとなれば地方にもいろいろな効果がある。キャンプ招致で、施設が整い、普段はテレビで見たことしかない世界的選手を身近で感じることもできる。W杯(日韓大会)でもカメルーンと大分・中津江村(現日田市)、イングランドが兵庫・淡路島、フランスと鹿児島など関係ができ、今も交流が続いている。ボランティアの人が海外の人と触れ合うことで、おもてなしの文化など、日本の良さも発信できる。

 選手として、五輪には縁がなかった。団長だったロンドンも4位でメダルを逃した。五輪のサッカーというと、本当に悔しい思い出しか残っていない。リオと東京は、楽しいというか、うれしい五輪に、みなさんの力も借りながらしていきたいと思う。

(2016年7月20日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。