<シドニー&北京出場 巨人 杉内俊哉(36)>

 2度出場した五輪の中でも、忘れられない場面があります。00年シドニー五輪は野球ではプロとアマが初めて合同でチームをつくって臨みました。僕はアマチュア(三菱重工長崎)。20歳で一番年下だったし、雑用もしながらですごく緊張して余裕もなかったんですが、米国戦だけは、しっかり焼き付いています。

 松坂が先発して10回まで投げました。僕が2番手で投げさせてもらったのに、延長13回にサヨナラ2ランを打たれました。当時、痛くて肩が上がらなかった。真っすぐが全然いかなかった。日の丸を背負ってましたし、責任感を持って気持ちで投げようって思ってたんですけどね。

 プロの方々が刺激になりました。松中さんだったりジョニーさん(元ロッテ黒木)だったり。松坂は同い年だけどプロで僕はアマ。最初は変な線引きをしちゃっていたんです。でもね、プロの方々がなるべくアマの選手といる時間をつくってくれました。ご飯も大人数で行くようにしてくれて。国のため。メダル獲得のため。すごい方々が線をつくらないように雰囲気を良くしてくれた。それで思い切り投げられました。

 日の丸の重みも味わいましたし、僕も代表を背負える選手になりたいと思いました。だから8年後、北京五輪にもプロとして出場できたと思います。五輪は国の誇りを懸けて戦う舞台。プロとアマの両方で経験させてもらいましたが気持ちは一緒でした。

 20年、東京でやる重圧は計り知れない。プロアマ合同のシドニーも注目とプレッシャーがすごかったけど、東京はもっとすごいだろな。国際大会の経験はなかなか味わえない。しかも自分の国でやるんだから…すごい経験値になるでしょうね。

 その時、僕は40歳です。自分がどうなっているか分からないけどジャイアンツのユニホームを着てバリバリで投げていたい。その状況で五輪の野球を見たい。ふさわしい成績を残して代表に選ばれたなら、絶対に行きます。腕がちぎれてもって思いで投げますよ。国を背負ってますから。20歳の時、僕はそれぐらいの気持ちで五輪の舞台に挑みました。40歳の自分も、きっと同じ気持ちで行くと思いますね。

(2017年1月25日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。