<84年ロサンゼルス 野球金メダル ヤクルト編成グループチーフ 伊東昭光(54)>

 ロス五輪の野球は当時、それほど盛り上がっていなかった。公開競技だし、キューバが出場辞退して急きょ繰り上げで日本が出られたのもある。さらに言えば、アマチュアしか出られない頃でもあった。自分は当時ホンダで3年目。3、4番手の投手だった。でも3月の大会で好投して、全日本候補に選んでもらえた。

 五輪の雰囲気は最高だった。帝京高2年のセンバツで高知商との決勝戦で投げたけど、別の感覚。応援に鳴り物がなくて、敵味方関係なく良いプレーには拍手が起きた。一番緊張したのは初戦の韓国戦。リードした9回にリリーフで出た。びびりながら投げた。でも、勝って波に乗れた。

 決勝は先発だった。スタンドの9割9分が米国の応援で日の丸の旗がパラパラ揺れているだけ。ウエーブも起きた。それが逆にワクワクさせた。金メダルを取りたいというより、米国に勝ちたいと思った。

 勝ってから知ったが、当時の米国代表にはマグワイアらがいた。日本もその後、16人がプロ入りしたけど「史上最強の米国代表」と呼ばれていた相手に勝ったのは快挙だった。だから、表彰台ではサマランチ会長(当時)直々に金メダルをかけてくれた。公開競技では異例のことだと聞いた。

 今は国際大会で使用球の違いが指摘されるが、当時は違和感がなかった。大学、社会人はみんなボロボロの球を使っていたから。プロみたいにピカピカの球を1球ずつ交換なんてあり得なかった。だから五輪はむしろ投げやすかった。

 今でも当時監督だった松永さんらと食事をするけど、やっぱり五輪はアマが出た方がいいという意見が大半。僕もそう思う。今は高校、大学からの受け皿が少なくなっている。社会人野球が衰退して、企業も高卒新人をなかなか採れない。社会人チームが減れば、野球人口も減っていく。

 だから五輪はアマの最終目標であって欲しい。野球・ソフトボールの復活が東京五輪だけになってしまう可能性もあるが、東京でやるからには金メダルを取りにいかなければいけない。プロが出て勝ちにいくというのも意義があるけど、アマが活躍したら、また社会人が盛り上がる。アマの夢であり、目標でもある五輪の代表に半分くらいアマの選手が入ったらいい。

(2017年8月2日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。