北京五輪(08年)の時は、まだプロ4年目の22歳。今、思うと、相当すごい舞台でしたけど、当時は全然大したことないって感じてました。独特の雰囲気はありましたけど、国のために、とは考えなかった。それよりも、自分が目立ちたい気持ちの方が強かったですね。

 決して、いいかげんにやったわけではありません。ただ、上の人からは緊張感がないように見えたのかな。注意されたこともありました。でも、僕は試合30分前にならないと緊張しない。普段から緊張すると疲れてしまう。スタイルを変えて自分の仕事が出来なくなるのが嫌だったので、そこは変えませんでした。

 本戦の予選リーグ第2戦、台湾戦で先発しました。裏話があります。ヘッドコーチだった田淵さんが先発メンバーを発表する時、なぜか「先発、筒井」って。みんな、大爆笑。「筒井って誰だよ」って(笑い)。阪神にいた左腕の筒井さんが頭にあったのかな。おかげで、みんな少しリラックスできたかも知れません。

 試合に入れば、集中してましたね。緊張どころじゃなかったです。ただ、6回しか投げなかったのに、ベンチに戻ると、いつも以上に疲れが出ていた。見えない何かがあったのかも知れません。

 代表は、すごい人たちばかり。普通なら絶対一緒に過ごせない人たちと、1カ月ぐらい一緒。特別な絆が出来ましたし、学んだこともいろいろあります。ただ、他の人のやり方が自分に合うとは限らない、ということも知りました。

 前年(07年)12月のアジア予選の時に上原さん(現カブス)と話して、上原さんは登板間はピッチングはほとんどやらず、遠投で調整すると。それで、08年は僕も遠投中心に調整したんですが、肝心の最終的なコントロールがなくなってしまった。自分のスタイルを崩してまで、人のものを取り入れる必要はない、と気がつきました。若い頃に代表を経験したことで、そういうことを知ったのはプラスだと思います。ロッテで若い子にアドバイスする時「合うかどうか分からないけど、こういうやり方もあるよ」という話し方ができるようになりました。あの経験がなければ、押しつけちゃうこともあったかも知れません。

 東京五輪は、34歳になってます。出たい気持ちはありますけど、年齢的にはギリギリですね。もし1回も五輪に出てなければ、どうしても出たいでしょうけど。若い人たちに出てもらって、僕が味わったような経験をしてもらえればうれしいです。

(2017年10月4日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。