日本代表として東京五輪に出て金メダルを取ることを目標にしています。僕の父は米国人、母は日本人です。横浜で生まれ、7歳の時に父の仕事の都合でカリフォルニアに引っ越しました。兄と一緒に野球、バスケットボール、サッカーなどをしてきましたが、9歳の時に兄と違うスポーツをしたいと思い、近所のクラブでフェンシングを始めました。当時のコーチに勧められて、サーブルを選びました。

 16歳の時に全米ジュニア選手権、19歳で全米大学選手権で優勝して、昨年12月の全日本選手権でも初優勝しました。今一番ほしいものは五輪でのタイトルです。難しいタイトルだからこそ取りたいですし、そのためにも、世界ランキングを上げたいと思っています。

 五輪を強く意識するようになったのは、08年北京五輪で太田雄貴さんが男子個人フルーレで銀メダルを取った時。母の地元の鹿児島でテレビで試合を見ていました。五輪後に太田さんがたくさんテレビに出られていて、日本での五輪熱を感じました。アメリカではそういう風潮はなかったので驚きましたね。

 13年9月に20年の五輪が東京で開催されることが決まって、母から「日本代表として出てほしい」と強い気持ちを伝えられました。僕自身も1年半以上悩んで、15年に日本で出ることを決め、日本の法律にのっとって日本国籍を選びました。

 今はニュージャージーで1人暮らしをしています。週6回の練習をしながら世界を転戦しています。野菜を中心とした健康に良い料理を作るのが趣味です。8月のアジア大会前後に、東京に拠点を移そうと考えています。日本のイメージはあまりないですが、引っ越したらいろいろ分かると思うので楽しみです。

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