サポートの大事さを、身をもって感じたのが五輪でした。初めての国際舞台だった03年のアテネ大会アジア予選。当時のメイン捕手は城島で、自分は控えでした。中日移籍2年目で、チームに帰ればスタメンの立場。それでも、わだかまりのようなものは一切ありませんでした。

日本代表が目指すのは金メダルただ1つ。その目標に向かって一丸となって戦わなければいけない。「自分がなんで控えなのか」なんていう思いは邪魔でしかない。確実に予選を突破するために、何が出来るかだけを考えていました。

心掛けたのは、助言を求められた時に必ず答えられる準備をしておくこと。相手(中国、台湾、韓国)はしょっちゅう戦っているわけではないので、当然分からない部分も出てくる。打者の特徴を少しでも把握するため、映像を繰り返し見ました。ミーティングで分析するだけでなく、自分の視点で洗いなおしたものをノートにまとめておきました。日本の投手陣の状態を把握しておくことも重要になるので、ブルペンでは全員の球を受けるようにしていました。

韓国戦に勝って五輪出場を決めたときは、うれしさと同時にホッとしたことをよく覚えています。残念ながら本大会には出場できませんでしたが、テレビを通して見た準決勝オーストラリア戦での敗戦は本当に悔しいものでした。

100%勝てる保証なんてないのが勝負ごと。だからこそ、出来る限りの準備をする。そこにはメインもサブもありません。それはチーム作りの面も同じ。東京五輪では、なんとしても金メダルを取ってもらいたい。メンバーをプロで固めるのであれば、難しいと分かった上でも日米の垣根を越えた編成に向けて努力を重ねてほしいと思います。

20年はグラウンド上だけでなく、日本球界としての力を示す舞台。表彰台のてっぺんから、「日本野球、ここにあり」という姿を見せてもらいたいと願っています。(日刊スポーツ評論家)

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