1964年(昭39)10月、私は27歳。まだ夜のキャバレー営業が多かったころでした。月6000円で、笹塚に6畳一間のアパートを借りて1人暮らしを始めていました。終戦からこんなに早く、日本でオリンピックができるなんて、とても不思議に思ったことを覚えています。

小さな白黒テレビを買いました。開会式の入場行進、森繁久弥さんが民放番組で「全国の皆さん、お仏壇をあけてください。この盛大な模様をご先祖様に報告しようではありませんか」と語りかけた。「さあ、日本の選手団の入場です」という声に鳥肌が立ちました。

45年3月、7歳の私は焼夷(しょうい)弾が降る中、当時住んでいた台東区から母に手を引かれて上野のお山に逃げました。廃虚と化した東京は周りを見回しても何もない。それがわずか19年で新幹線が走り、高速道路もできた。日本が持つエネルギーはすごいと思いました。

40年も戦争によって東京オリンピックが中止になりました。そして今、予期せぬウイルスの出現で、再び開催が危機に陥っています。世の中は開催を巡って意見が割れています。一概にやったほうがいい、やめたほうがいいという物言いは私にはできません。1つ1つ問題点を掘り下げてみると、そうなんだよなっていうことがいっぱいあります。どっちの意見にも耳を傾けないといけないと思うんです。

スポーツは人に感動を与え、見る人は自分を投影して何か押し寄せてくるものを感じる。だからこそ人はスポーツに真剣なまなざしを送る。選手にとって、磨き上げてきた最高のパフォーマンスを発揮する舞台。中止なら、積み重ねてきた努力をどこに持って行けばいいのか。そう考えると気の毒です。

もう開催まで幾日もないですね。開催可否はいつ決まるの? いま選手にお伝えしたいことは、開催されるか、されないのか分からなくても、そこまでは平常心を保って練習に集中してほしいということ。マイナスには考えず、ベストを尽くしてください。

あの秋、大金をはたいて買ったテレビに映る閉会式の映像も忘れられません。みんながやりきった瞬間。世界中の選手が民族や宗教の枠を取り払って自然に抱き合う。ああ、人間っていいな。ついこの間まで戦争していた日本に来てくれてありがとう。27歳の青年はそう思っていました。ずいぶんとエネルギーをもらったと思います。そういう機会がなくなるのは寂しいね。(351人目)